八月が終る、今日は奈良へ行く

八月が終る、今日は奈良へ行く
        2018/09/02
        十河智

 上の孫から電話があった。この子の電話はおねだりが多くて、この間は「大阪限定もののカールうすあじを送れ」だった。またそんな話かと思っていたら、「俳句をつくらないといけない」と言う。ここは、誘導しないといけないかと、どんなこと書きたい?、とか、何が思い出すこと?とか、質問で攻めた。ひとつはできたと思う、と言うので、披露させた。なかなかいい取り合わせの句だった。取り合わせたところは、お母さんらしい。それはいい句だと言ってやると喜んでいた。こういうとき私の思いは、すぐに30数年前、そのお母さんと俳句を作った場面。繰り返される幸せがあるのだと思う。授業で句会をするらしい。
 最近は、地域やクーラーの設置状況で、夏休みが一、二週間ずれて終る。寝屋川市ではとっくに二学期で、水道の蛇口での消毒が保持されているか、保健室のベッドのダニアレルゲンは大丈夫か、二学期はじめの学校薬剤師としての仕事を済ませた後だったので、「あんたどうしてこんな時間に家にいるの?」と聞いてしまった。「夏休み」、と向こうが不思議そうに答える。ややこしい。そうだった。孫たちは、夏休みの宿題片付けているのかと、やっと気づく始末。

 俳句作る孫と話す日八月尽

 雨になりそうだったが晴れた。なにもすることがない。またあのカーブの醍醐味を味わえる阪奈道路のドライブをしようかと奈良へ、行くことにした。
 ただ、奈良のどこかで、夏休み終りによくある子どものバイク事故で6人も亡くなったらしかった。三台に8人、ヘルメットは2つ、14才から18才、午前4時、大変な事故である。後始末にあうかもと思ったが、主人はもう終わっていると言うので、平城京あと近くのご飯やに出掛けた。暑い日はクーラー効かせてドライブがいい。ラジオで、富田林の逃亡犯に似たバイクの高校生が大阪市内でパトカーに追いかけられて、事故になり、死亡したと言っている。盗難バイクに無免許。死に急ぐなよ❗大きな声で、そう言ってやりたい。

 八月尽バイク駆りたき高校生

 安全運転の老女は、無事に「ザ、めしや」に到着。ここの味が一番自分の味と一致している。観光に一族で来ているような、20人近い中国人の団体がいたが、日本在住の案内の人に導かれて、言葉でわかるだけ。こちらがもう見慣れたのかもしれない。
 次に行った奈良公園でも、春日大社でも、言葉はいろいろだが、みんな初秋の奈良を楽しんでいた。鹿は秋は意外とおとなしく、撫でられたりもしていた。言葉に関係なく、スマホで写真を撮っていて、鹿が写り込むように顔をを近づけたりしている。
 柵に凭れていると、横の主人が突然前のめりに転げそうになった。鹿が背中を押したらしい。大人げなく、鹿を睨み付けている。

 秋の気のところどころや奈良公園
 背中押すもののあり奈良の鹿
 鹿に挑む愚かな翁ありにけり
 鹿と目で話す木陰やインスタグラム

 駐車場にいれたので、バスに乗り、春日大社本殿前という停留所で降りた。前、といっても参道は延々と続いた。背の高い木々の間を風が通り、鹿も少なく、歩きやすかった。鹿の危険を教える看板がここに多かった。日本語、韓国語、中国語、英語。
 まだか、まだかと思っていると茶屋があった。ここで終りになる予感はあったが、一休みすることにした。前の野外の椅子席の横に端正な姿の鹿がいる。
 店は、注文と同時に前払いのシステムで、入り口付近だけ混んでいた。年配のおばちゃん店員さんは、メニュー指差しと日本語で、注文と会計を処理していた。相手の言語はその都度代わり、日本人よりも外国人の方が多い様子だ。一日のストレスは相当だろうなと、同情した。
 そう言えばバスも前から乗って、先払い、後からおろされた。観光地の智恵なのだろうが、普段と逆で、とまどった。
 茶屋ではゆっくり前庭にいる鹿をみたり、大概二人連れの客の関係を想像したり、柿のジャムのかかった奈良らしいかき氷を味わった。

 バス降りて本殿までの残暑かな
 もうひとつフランス語欲し鹿注意
 奈良は秋日本語徹す日本人
 秋暑し茶屋には柿のかき氷

 茶屋のすぐ横に春日大社神苑があった。万葉集に因む植物園を唱っていて、前に来たときは、休園だったことを思い出した。ここに入ることにした。
 かなり広いようだが、藤も椿も多分蓮も、今は花の時期ではないので、万葉の歌碑の具わる秋の草の多い一角を巡った。稲も、古代米の品種がいろいろあった。桔梗がきれいに咲いている。名前が万葉集にはこの名と、いれてある。ナンバンギセルは矢印を辿って、薄の根元に見つけることができた。ホースを回らせた撒水装置で、ミストが発生中、涼しかった。今年初めて、つくつくほうしを聞いた。

 春日大社神苑に咲く桔梗
 撒水のミスト色なき風に乗る
 秋されや万葉集の和歌の花
 ナンバンギセル薄の叢の根元なる
 つくつくし神苑深きところより

 帰りもバスで、県庁前の駐車場まで戻る。辛うじて覚えていたバス停の名前。ところが駐車場への入り口がわからない。最近は、探す、思い出す、に時間がかかる。まあなんとか帰路につけた。帰りは主人の運転で。
 何かをしながら、何処かへ行きながら、二人で暮らしていく。