「御意始末」黄土眠兎編を読みました。

「御意始末」黄土眠兎編を読みました。
        2018/12/06
十河智

 黄土眠兎さんの句集、「御意」、これについての感想、評論で、結社誌やブログなどに初出のあるものを、集めた小冊子。人によって視点が違い、挙げられる句は、共通する句もあるが、千差万別である。面白い。評する言葉として使われたものを示してみた。
 「庶民視線」「季語の配合」「情景の把握力、描写力」「詩として表現として結晶」
…… 藤原龍一郎

 「頑張らなくてもいいよ」「あるがまま」「茶目っ気」「突っ込み」
……栗原修二

 「編集者である眠兎は『読んでいただいて面白いもの』という魔法のエッセンスを振りかけた。」
……大井さち子
 
 「論客よりも俳句愛好家のおっちゃんの感想こそが相応しい」
 「季語と季語以外の措辞と季語の本意とは異なる同じ『匂い』で強固に結びつき、第三の意味を作り出されている。」
 「眠兎は匂い付を体感できるのであろう」
 「俳句は現代を生きていることを伝える手段」
 「俳句を再び生活者が取り返した。」
……天宮風牙

 私の共感した記述ばかりを集めようとしただけなのでここいらへんでとめたい。特に天宮風牙さんの言葉が、染み入った。題材の調理の仕方は上手下手があるのだろうが、「現代を生きていることを伝える手段」と言ってくれたことに、感激し、私の俳句も続けられると、後ろ楯を得たようである。匂いづけを心がけねばなるまいが。

句帖を拾ふ(2019/02)

句帖を拾ふ(2019/02)
     2019/02/01
     十河智
1
牡蠣

oyster

牡蠣大粒けふのランチは決まりけり
large oysters;
a dicision what we eat for lunch
ふるさとの産たる牡蠣をことのほ
oysters;
choosing especially home grown ones

2
セロリ
celery

セロリ太し節で折る音みずみずし
a thick celery stick snapped at the joint ;
a clear sound of freshness
しやきしやきと潔く噛むセロリかな
the crispness of celery;
graceful biting

3
冬三日月
crescent

冬三日月護身の小柄欲しき夜を
crescent in winter;
the night of desiring a dagger for self-defense
見上ぐれば冬三日月の鋭利かな
looking up;
crescent with a sharpness of edge

4
焚火
open-air fire

道端に焚火ありしか我が幼時
an open-air fire on the street;
my childhood
鉋くずいつも焚火のドラム缶
wood shavings;
to the open-air fire always in the drum

5
落ち葉
fallen leaves

LOVEと書く遊び心や落葉掻き
writing four letters of LOVE with fallen leaves ;
a sense of fun
一足のずしつと入りぬ落葉山
the hill covered with fallen leaves;
a heavy sinking step

6
枯葉
dead leaf
沖縄に転がる厚き枯葉かな
a thick dead leaves rolling and lying;
Okinawa
枯葉いま林へ戻す箒かな
a broom;
sweeping dead leaves back to the woods

7
席題2月第一週(02/02~03)
追儺
豆まきや交通規制成田地区
多過ぎる歳豆まきをせぬ理由
鬼やらひあと仲良くと言ふらしく

8
晴れ渡るSNS には雪の報
近畿雪ならば行けぬな京都奈良
少しばかり望みてゐたるけふの雪

大雪で交通や雪掻きに大変な皆様にまた叱られそうですが、今年はまだ散らつく程度降っただけです。雪で覆われた景色には憧れがあります。

9
風花
powder snow, fine snow
風花や降車のバスのテールランプ
powder snow in the taillight;
at the moment of getting off the bus
風花の行き着くところ水鏡
a fine snow;
a water-surface catches all

10
波の花
foam of the wave
波の花鳴門に長き防波堤
foam of the wave;
a long waterbreak on the Naruto coastline
ごつごつと岩場に遊び波の花
playing on rugged seashore with stones;
foam of the wave

11
冴返る臨時休業告知して
春寒しまた有名人の訃報あり

 寒いですね。寒いと訃報がよくあります。堺屋太一さんが亡くなられたと聞きました。
 この前に寒くなったとき、たまたま通りかかった友人の店に休業告知が貼ってありましたが、脳梗塞だったようです。寒さには、用心していないといけません。

12
席題2月第2週(02/09~11)
猫の恋
ふらふらと満身創痍猫の夫
恋猫の深窓にまで忍び入る
孕み猫老人多き過疎の島

15
少年となりバレンタインチョコ二・三枚
Saint Valentine's Day;
a boy with a few sheets of chocolate
チョコ好きの買時バレンタインあと
the days after Saint Valentine's Day;
the best time to buy chocolate for chocolate persons

孫も大きくなり、もらったチョコレートが嬉しいそうです。
いつの頃からか私は一年分のチョコレートを、バレンタイン後の売り出しで買っています。

16
朧月
a hazy moon
夕暮れてけふ上弦の朧月
hazy waxing moon;
today, at dusk
朧月帳の衣の向かうより
hazy moon;
from behind the veiling

17
木の芽
shoot, sproute
綻びのときに荒らぶる木の芽かな
the beginning to open;
sproute showing the roughness
鹿防護柵奈良のホテルの木の芽かな
a rounded fence to protect a deer;
sproutes at a hotel in Nara

18

plum, Japanese apricot, plum blossom
白梅や庭の隅今輝きぬ
white plum blossoms;
brightening now the corner of the garden
梅林にそれぞれ個性的に咲き
Japanese apricot grove;
blossom on each tree showing individual appearance

19
春光
spring light
春光や山羊二頭には狭き庭
spring light;
a small yard for two goats
春光のうなじあたりや午後三時
spring light on the nape of my neck;
three o'clock in the afternoon

20
席題2月第3週(02/16~17)
「鴬」
鴬の山統べるごと大和かな
鴬に聞き惚れぼおと寺の庭

21
春一番
the first spring wind

デパートの買物袋春一番
the first spring wind;
a filled hand paper-bag of a department store
春一番髪靡かせてハイヒール
high heels in the first spring wind;
walking with her hair streaming out

22
野遊び
picnic

ピクニックキム・ノヴァクとふ女優ゐし
Picnic;
there was an actress, Kim Novac
野遊びやサンドイッチとボール持ち
picnic;
sandwiches and a ball in a basket

23
風船
balloon

風船や銀行に付いてきて
a balloon;
a infant at the bank teller counter
風船を膨らますこと親は下手
a mother;
a bad inflater of a balloon

24
風車
windmill

児が笑まふ息吹き回す風車
a toddler smiles;
a windmill spinning by exhalation
風車手に全力疾走し
a windmill in the hand;
a sprint for spinning

25
席題2月第4週(02/23~24)
「剪定」

剪定や老植木屋が最後とて
剪定の松や我が家の五十年
剪定の小枝を踏みて茶を出しぬ

25
シャボン玉
soap bubble

ふんわりと薄く大きくシャボン玉
fluffy big balls of thin skin;blowing soap bubbles
シャボン玉こびと行進するやうに
dwarves marching;
soap bubbles from a straw

26
春ショール
spring shawl

春ショール白髪に似合ふ色
spring shawl;
the color matching my white hair
春ショール太平洋を臨みけり
facing the Pacific Ocean;
spring shawl

27
駒反る草若者でスタバ混む
piece warp grass;
STARBUCKS COFFEE crowded by young people
春暑しフラベチーノでいいですか?
hot day in spring;
Frappuccino, OK?
さくらさくらシフォンケーキもドリンクも
sakuura-ful spring;
Sakuuraful cakes and drinks

出店の時、緻密に調べるのだろう。枚方、寝屋川、交野の交わる地点の畑の真ん中のスターバックスコーヒー、平日お昼に若者でいっぱいであった。
さくらシフォンケーキとコーヒー、さくらフラペチーノを頼んだ少し暑い日。

通りの向こう側、歩くあの人

通りの向こう側、歩くあの人
        2019/02/25
        十河智

 こんな人はあなたの回りにいないだろうか?
 案外近い知り合いなのに、考えてみたら、あまり知らない、まるで、人生のどの曲がり角を曲がった後でも、ふと気づくと、通りの向こう側を歩いている。
 そんなひとの話をしてみたい。

 高校の一年上の先輩である。
 進学校ではクラブ活動は2年の夏休みまで、少し長くても11月始めの文化祭まで。なので、ESS の先輩でもあったが、一年生のときは高校生活に慣れるのが必死で、先輩にくっついていても、仲良くその人を知れるまでにはならずに終わる。
 今思い出すと、文化祭の一年生の時のドラマでは、七月から十月いっぱいほぼ毎日、校舎屋上で、たまには二人きりで発声練習をしていたのだ。私は通りが悪い声質で、隠るらしく、特訓が必要と言われたのだった。屋上で、空に向かって、ただただ声を張り上げていた。目標に一生懸命で、横の先輩が誰かにはあまり興味がなかった。
その先輩が彼女だったと思い出す。彼女も発声法について教えるのだが、張り詰めた高くて上品な声だが、それほどよくとおるとは思えぬ細い弱い声で、優しくそっとアドバイスするのだ。印象が薄く、後に再会しても、そのことはすっかり記憶から外れてしまっていて、二人でその事に触れたことはない。
 クラブ活動にこなくなると、縁が途切れる。どこへ進路を定めたかも知らなかった。
 一年半後、私が受験のとき、一緒に受験する子のお姉さんが、四年ほど上の、高校と大学の学部も先輩で、女子寮の受験生の宿泊受け入れを世話してくれた。その人が、学部でも一年上に二人同じ高校の子がいるよと教えてくれた。一人は父の出里の知り合いの娘さんとわかり、寮生でもあったので、受験中の世話をお願いに父と行った。受験は田舎者の娘には大変な出来事だった。父もこのときはいろいろと出てきてくれたなあと思う。
 無事合格して、二年後、薬学部で授業を受けるようになると、ロッカー室で、実験着に着替えるようになる。もう三年生も終わりかける冬のある日、ロッカーで隔てられた向こう側で声が聞こえた。懐かしい声であった。Uさん?と思ったが、顔をみるまで確信はなかった。顔を会わせて、お互いに、こんなところでという戸惑いの間があった。話が進むような情報もなく、お互いの友人もいたので、お久し振りの挨拶だけして、別れた。どちらも非社交的、引っ込み思案が似ているかもしれない。
 その頃、もう四年生は就職先は決まる時期で、すぐに卒業していった。また一年ほど、消息は知らずに過ごした。
 東京でウーマンリブという運動が起こっていた。ヘルメット、マスクで勇ましくデモをする姿がニュースになっていた。
 実験の指導に当たる男子大学院生が、噂に「卒業生にも一人、ウーマンリブに熱心な子がいる」と囁いていた。耳を疑ったが、それは彼女だという。知ってる人は、必ず最初は信じないくらい想像できない転換に思う。何があったのだろうと。
 ただ、同じ道を辿る女子として言うと、ウーマンリブには走らなかったが、根本に、共感するものはあった。女の子であることへの閉塞感から解き放たれたいという思いは、私もその頃強く感じていた。
 二人のシモーヌシモーヌ・ド・ボーボワールシモーヌ・ベイユが、一番親しい女友達との話の中心であった。女の子の殻を破りたいという切なる思いが、内から込み上げてきてはいたが、行動には出せずにいた。親の希望通りに、羽ばたくことを選択せず、田舎に就職し、四年間在職して、同郷の主人と見合い結婚した。それなりに努力はしたが、周囲からは結婚までの腰かけとお定まりのコースと思われているだろう。
 彼女がウーマンリブの退潮とともに、普通の生活に戻っていっただろうと想像するしかない。結婚などの時期は、全く別のところで暮らしていたのだから。
 ただ、後でわかることだが、知らなくても、仕事を通じて接していたことがあったのだ。
 パートタイムでかろうじて、仕事を続けていたが、子育てをそろそろ終える頃、大病も経験、神戸の地震もあった。これで人生を終わるのか、と振り返り、一大決心をした。
 その頃、医薬分業が急務と言われていた。二十年くらい前である。小さくてもいい、薬局を、地域密着型の処方箋もOTCも扱う相談できる薬局を開設しよう。それを念頭に、経験の少ない病院薬局や、各科受け入れる調剤薬局にも行き、その後開局に漕ぎ着けた。子供を連れて来てもいい条件で、子育てを支援することも加味して、友達二人が、来てくれた。十年くらいで六十が来る頃だったので、その頃までかなと、考えてはいた。うちに来ていた友人たちも、子育て中、中断がなかったと、喜んでくれた。子供の何人かは薬学部に進んだと後で聞いた。医薬分業は理想的ではなく、チェーン店が隆盛で、経営は年ごとに大変になり、私の給料までには至らなかったし、全て手作り感のある棚や掲示ではあったが、破綻せずに終うことができた。
 彼女が思い出したように年賀状をくれる時期があった。薬局を開設して、薬剤師会に名前が出たときにわかったらしい。
 彼女はその頃、うちに出入りの卸の管理薬剤師をしていたが、そこは調剤薬局への情報提供にとても力を入れていてありがたいと、日頃から思っていた会社であり、彼女がその推進役だったのだ。
 何ヵ所か営業所は変わったようだが、その会社のMRやプロパーが、役に立つ資料をくれたり、「電話でうちの薬剤師さんに確かめます」と、疑問点があると、そう言ってくれていた、その先に彼女が繋がっていたのである。
 薬局も閉めて、数年が経つ。
 最近、京都の大学の友達が、ある会報に載った、彼女の癌の告知後の暮らしと、再発後は亡くなるまでの選択としてなにもしないと決めたことを記した文章を、「先輩でしょう」と、ファックスで送ってくれた。
 やはり情報提供に全力を傾けて仕事をしていたことが、紹介されていた。最後は、冷静に自分の体力と、家族との平安を天秤にかけ、選択したが、最後の最後まで、生き抜くと結んであった。
 掲載の前に亡くなったとあった。


あの人の訃を聞き及ぶ寒夜かな


よく通る声が出るまで夏の雲
屋上に汗して演技練習す
ソクラテスの妻のドラマや文化祭


再会は寒き学部のロッカー室
夏の頃ウーマンリブに嵌まるとふ
帰省して風の便りに触れにけり
年賀状結婚をして子を育て


あの方の亡くなられしは冬初め

キーホルダーから鍵が落ちた。見つかった。

キーホルダーから鍵が落ちた。見つかった。
        2019/02/23
        十河智

 私は捜し物名人と言われ、自分でもそう思っている。つい最近もこんなことがあった。

 主人の方が体力的には元気。買い物をして来てくれる。
 そんなある日、出先から電話が掛かってくる。大声で、車のキーホルダーについている家の鍵を落としたという。最近耳が聞こえにくいという老化があるらしく、声が大きく、怒鳴っていないというのだが、怒鳴り声に聞こえる。
 こうなると、主人が帰ってきたら、捜しに行くのに連れて行かれるのが常なので、用意をして外に出て待つ。
 車に乗って、朝から出かけた場所を、3ヶ所回ることにした。お昼をした山羊カフェまで私が運転したのだが、家は主人の持っている別の鍵でかけた。カフェのテーブルの上にあったキーホルダーのことが記憶にある。捜しに行って、聞いてもみたが、駐車場の止めた場所にも、店内にも、なかった。
 山羊カフェから、一度家に戻り、主人は私を下ろした後、スーパーから別宅へ。別宅で玄関を開けるとき、もうひとつの自宅の鍵がないのに気づいたという。
 その辺は十分に探したというので、もうひとつ前に寄ったスーパーに先に行くことにした。
 スーパーでも駐車した場所を探すことにしたが、すでに別の車が駐車していた。近くに止めて、その場所の車の下を除いたが、ドアのところに、ごみが袋に入って捨ててあるだけ、見つからない。念のために、売場に行って聞いてみる。届けはないと言われた。
 かなり昔、寝屋川では、タクシーに落とした財布に鍵が入っていて、拾った人が強盗事件を起こしたことがあった。だから家の近くで落としたときは、一度全部鍵を変えてもらったことがある。
 今回は、キーホルダーから外れた鍵一個だけ、名前も書いていないし、そう心配はないと思うが、と言いつつ諦めかけていた。
 駐車場に戻ると、そこにあった車はすでに出ていった後、ごみの袋が残っていた。ふと諦めきれずに、ごみの袋を退けてみた。
 駐車場の薄暗がりの中で、金属が鈍く光った。よく見ると、鍵。うちの鍵。
 車に乗りかけていた主人に、「あった!」というと、「何処に?」と言って、やって来て確認。
 やれやれ。家に帰ると、主人がキーホルダーのキーを止めるところをセロテープでぐるぐる巻きにしている。見せに来て、これで落とすことはないと満足げに言う。
 このキーホルダーは、甥の新婚旅行のイタリア土産、おしゃれな彼が叔父ちゃんにと、選んでくれたうちの数少ないブランド品、アルマーニ。十何年も使えば、ネジも緩むというもの。これからも、セロテープで巻いて、毎日持ち歩く。

三寒四温突然電話きて怒鳴る
家の鍵春の闇にぞ打ち落とす
名人が捜しに行かむ春の暮
魚氷に上る床にきらりと鍵ひとつ
春炬燵セロテープ巻くアルマーニ

吉田神社の節分祭に出掛けました。

吉田神社の節分祭に出掛けました。
        2019/02/20
        十河智

 学生時代、あまり吉田山には登ることはなかったが、最近になって、山の中の喫茶店にいったり、同窓会の流れで散策したり、よくするようになった。
 一つの理由は、親しい友人が吉田二本松町に、岡崎から住居を移して、そこを訪ねれば、吉田山にということがある。
 吉田山の吉田神社の節分祭は、とても有名であるが、これも行ったことがなかった。
 今年は行こう!
 いつもこういうときに誘う守口の友人に連絡を取り、京都の人の都合も聞いて、2月3日に出掛けた。
 実は、有名な「鬼やらい」も前日、
「火炉祭」も当日深夜、見処は外してしまうことになるが、この歳でそう無理もできない。少し残念に思う。
 吉田山の辺りは交通規制があると思い、久し振りに出町柳から、時間を掛けて歩いた。
 百万遍、その辺から人通りが増えた。東大路から京大正門前に入ると、角からびっしり屋台が張られていた。人の出も、前に進むのがやっと。その雑踏を抜けて、吉田二本松町の友人宅へ辿り着いた。
 吉田周辺の友人の町内会で協賛していて、お祓いとぜんざいの券があるという。流石、京都、うちの町内会が催す自治会祭りとは格が違う。
 まずは、3人で用意して、お昼はすき焼きをした。この家の主人も入り、4人で食べた。玉葱とほうれん草を入れるのは、すき焼きとしては、私には珍しかった。この家では、淡路島で食べたのが美味しかったと、ずっとこれだという。玉葱もほうれん草も、とても美味しかった。後片づけもささっと済ませ、吉田神社へ出掛けていった。
 節分らしく鰯を焼いて売る屋台、八ッ橋や大安の漬け物など、京都の銘品の直営の屋台、町内会で出すぜんざいの店、見たことのないような新しい商品もあり、通るだけでも退屈はしないのだが、時に、行列が出来ていて、流れを妨げている。屋台の数がすごい。外国人もやはり多い。
 階段を登ると神社。車椅子の人を家族で下ろしているのに遭遇した。大変そうに一段ずつ。なぜスロープもあるのに、と思っていたが、帰りに答えがわかった。スロープが急すぎて、車椅子には危険なのだ。バリアフリーはそう単純ではないと思った。
 境内に入って、私も町内会の振りをして、お祓いを受けた。私は節分の豆まき用に福豆を買った。抽選つきだそうだが、もう来ることがないかもと抽選券は辞退した。抽選券が残り少なく、行列が続いていたので、欲しい人に当たればと思ったのだ。町内会のぜんざいは持ち帰りにして、麓の友人宅に帰りかけると、雨が予報よりも早くかなり強く降り始めた。
 深夜には復活した火炉祭もあり、屋台はこれからも稼ぎ時が続くはずだろうにと思って気の毒になる。
 火炉祭は、都会の真ん中の神社なので、一度中止になっていた行事のようで、神事ということで復活したらしい。受付では、中にくべるものの確認も厳密にされていた。空気を汚すものは排除されているようだった。深夜に大きく立ち上る邪気払いの火、見てみたかったと、また残念に思う。
 友人宅に戻り、お土産に持ってきたケーキの恵方巻とコーヒーでお茶をした。黒いケーキ、色は何かと話題になった。たわいのない話。たまにではあるが、会うと楽しい。幼い時からの知り合いである。遠慮もなく、家族のこともよくわかっている。3人でする話もあれば、大阪への電車の中で2人でする話もあり、喋り尽くす。
 雨が降っているので帰りは近衛通りへ出て、タクシーを拾った。近衛通りの突き当たりは、ひろばになっていて、タクシーを拾いやすい。この辺りは、大昔、下宿も多く、喫茶店や麻雀屋があって、よく遊んだところ。今は、思い出す術もなく、変わってしまっている。ただ広場だけがそのままである。
 守口の友人とは電車で別れた。
 深夜に吉田神社の福豆を主人が外に撒いて、形ばかり節分らしいことをした。
 いつの頃からか、年の数だけ豆を食べるのは止めた。
 
見てみたき吉田神社の鬼やらひ
友誘ふまた友に会ふ春近し
節分の吉田神社へひとたびは
節分祭百万遍まで歩かねば
福豆と綿菓子をもつ少女かな
東大路一条節分祭の賑はひに
京大は門を閉ざして追儺かな
面白や節分祭の八百屋台
豪華なる賞品福と節分祭
節分の鰯の隣リンゴ飴
大安の千枚漬や一の場所
屋台八百あれば八ツ橋湯豆腐も
冬帽子取りお祓ひの神楽受く
節分祭早く雨来てあはただし

すき焼きの拵え各自家の様
法蓮草の赤き根本の
甘きかな
新鮮な菜花の太き茎もまた
牛鍋にチリのワインと緑茶かな
恵方巻ケーキの黒に訝しげ
コーヒーをゆるりと啜りシクラメン
暇する玄関に咲く寒桜
冬の雨タクシーを待つ広場かな
お喋りをし尽くし降りる冬の駅

深更に二人暮らしの豆をまき

有馬みどりさんのサロン・コンサート ………ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調 Op 106 「ハンマークラヴィーア」

有馬みどりさんのサロン・コンサート
 ………ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調 Op 106 「ハンマークラヴィーア」
        2019/02/18
        十河智

 先週の土曜日は、ピアノのサロン・コンサート。
 午後一時に間に合うように早めに出発、駅の隣の、ビルのレストラン街で昼食したが、このビルは、今月末には閉鎖、ビル自体を建て替えるらしかった。近頃、いろいろな古いビルが、こういうことになっているし、対策が施されたり補修中のインフラにもよく出くわす時代になった。
 イタリアンの店で美味しい春野菜の限定ランチを食べた。コンサートに神戸や芦屋に来たときの嬉しい付録である。
 ベートーベンのピアノソナタ全曲演奏を目指す有馬みどりさんの一連の演奏会の一環である。
 今度は、芦屋の駅近く、クラシカという小ホール。50人程のほぼ常連だけで聴く会であった。
 私は、音楽は聴いて楽しむだけ、曲についての詳しい解説をされても、右から左の私だが、このベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調 Op 106 「ハンマークラヴィーア」は、演奏前のみどりさんの解説によると、「全曲演奏という縛りを課していなければ、手を出したくなかった曲、難かしい曲にチャレンジしました。」という。
 速度の指定があって、楽章ごとに大きく違いがあり、纏まりを付けにくいことや、あとで演奏でわかるのだが、人の技がついていけるのかくらいのものが要求されているようなのだ。
 ものがわかっていない私が、これ以上のことは言えないので、この辺でやめて、ホールの様子を述べることにしよう。真っ白い壁に包まれたおしゃれな室内で、舞台真ん中のピアノは、最高のものだと聞いたことがある。演奏の前に、ティータイムがあるのが、約束になっている会場である。もう何回かここでみどりさんの演奏を聴いている。聴衆はどの顔も思い出す程度に見知っている。和気藹々とした空気である。
 最初に、解説があったので、聴く用意が出来ていて良かった。各楽章の全く違う曲想を楽しむことができた。特に長い第3楽章、有馬みどりさんは、とりとめのない、湖に船に揺られて時を過ごすような、と形容されていた、その感じも、ゆったりとピアノの演奏の浮き沈みに自然に乗ることができ、あっという間に終わっていた。
 聴き終わった後に残る心地よさ、他の3つの楽章による揺さぶりや纏まりがあってこそのこの緩やかさが、誘導してくれたものであろうと思う。
 蕪村の
「春の海ひねもすのたりのたりかな」
という句を思い出している。
 サロンの外に出ると、雨が散らついていた。降り始めである。傘を持っていないので、帰りを急いだ。
 淀川の下を抜けて学研都市線に入ると、まだ雨は降っていなかった。
 暮れる前に帰れたと主人は喜んだ。
 
春寒や寿命のきたるビルディング
春野菜ランチ限定十人と
芦屋駅余寒に長き赤信号
暖かき小ホールには見知る顔
黒きピアノ白壁眩し春の昼
ものの芽や呼吸整ふピアニスト
おぼろめく気をピアノより破りけり
難曲をものにし春の麗らかな
春雨やピアノの余韻身に響き
東西線学研都市線春の暮  十河智

エスカレーターを止めてしまいました。

エスカレーターを止めてしまいました。
          2019/02/11
          十河智

 京都駅で新幹線から降りてくる人を迎える。一月のことである。関東から西に向いて来るので、知人が会いたいといって、京都まで寄り道してくれた。そう頻繁に会える人ではない、とても嬉しい申し出であった。俳句を通じて知り合ったが、パラメディカルとして共有できる話題もありそうで、二人で会えることを楽しもうと段取りをした。
「観光は要らない。それよりもゆっくり話を。」という。私の歩きが苦手で遅いことへの配慮で、ご本人は健脚である。それで、私も登ったことがなく、一望で観光代わりにもなる京都タワーの展望台に登ることにした。
 京都タワーは、できた頃は、京都の景観には異様と、昔は評判が悪かった。土台の建物はデパートだったが、とっくに閉店していて、一時閉鎖されていたと思う。だが、時代が移り、お化粧直しもして、今人気回復中らしい。つい最近、建設設計者の物語をテレビでも見た。今まで関心も持たなかったが、ちょっと行ってみたくなったのだ。
その後、下のカフェテリアで、ランチバイキングを楽しむことにした。予約しておいた。孫たちもいなくなり、正月の慌ただしさも落ち着いたときであった。
 わくわくしつつ、新幹線改札前で待っていた。
 朝早く出発してこられただろうに、元気に降りてこられた。
 寒い日であった。みんな着ぶくれていた。
 京都タワーの方へ駅構内を抜けていくことにした。
 お昼近い時間帯で、エスカレーターは人で詰まっていた。
 エスカレーターの乗り口付近には「転倒しないよう注意」の貼り紙。
 そんなことが自分に起きるとも思わず、いつものように、スッとエスカレーターに。
 ところが、後の知人に声をかけようと半分体を回した途端、バランスを崩した。
 止まれなかった。
 下の方向へ2段ほどツツッとよろけた。
 知人が支えてくれなければ、手を着かざるを得ず、挟まれていたかもしれない。
 他にも手を差し出してくれる人がいて、転倒までに至らずに止まることができた。
 支えになってくれた知人もよろけさせた。
 何秒くらいのことだったか、ここでよく止まれたと認識したとき、エスカレーターも止まってくれた。
 あぁ止まるようになっているのだと改めて思うくらいの余裕があったが、恥ずかしかった。
 下りの方から、若い男の声で、
 「ばあさんか……」
とか、聞こえてきた。
 確かに。白髪のよたよたヨロヨロおばあちゃんに違いないのだが、傷付く。
 「大丈夫ですか?」
 「怪我はない?」
そう言ってくれた人もいた。
 止まったあとのエスカレーターがどうなるのかはわからないが、怪我もなく大事にならなかったので、そのまま進んでいった。
 周囲の人も騒ぎにはならなかった。少し後ろ髪を引かれながらも、気を取り直し、京都駅在来線改札口まで来た。
 駅前の外の光景、京都タワーも見えて、平常心を取り戻していった。今日を楽しむ方に戻ってきていた。 京都タワーの展望台。
 晴れた冬空は最高だった。山のない南は大阪方面が霞んで、阿倍野ハルカスまでも、遠く細くその存在を示していた。
 備え付けの地図模型を見ると、町並みや観光社寺等がよくわかる。
 山と川そして道路を目安に、嵐山、嵯峨野、比叡、銀閣寺、大文字や清水寺東福寺三十三間堂と移動しながら目を移した。
 御所や二条城、真下の本願寺の各宗派のお寺、東寺。
 その後下に降りて、予約しておいたレストラン「タワーテラス」に入った。 ゆったりとした明るいレストランであった。窓が一面で、90分制限のあるバイキング。
 二人連れが多かったが、長く広い店内に、邪魔しない位置に案内されるので、ほんとにリラックスして話ができた。
 俳句仲間と、俳句の絡まない話ができた。
 仕事上の研修会が今回の目的で、いいものがあれば、自分で選んで受けに来るという。私もできるだけそうしたいと努力してきたので共感できた。
 仕事をしながら子育てする人とは、必ず保育所不足の話になる。お姑さんがいたので、続けられたという。私は、またまた、パート人生に甘んじなければならなかった経緯を興奮ぎみに語ってしまった。やはり悔しい選択だったと無意識に思いがあるのだと思う。決して不幸せな人生ではなかったのだが、やはりここが大きな痼となっているようだ。
 問わず語りに、自分のことを喋りあう程度であったが、いい時間を過ごした。
 京都らしく少し格調もあり、現代的なお洒落感ももち、美味しい料理とお菓子とお酒、いい空間であった。
 まだ午後三時、京都の町中を少し歩こうかと、いうことになり、あまり離れない東本願寺へいくことにした。
 雨が降りそうになり、曇ってきていた。通りに出ると、寒かった。
 直ぐのところで、声をかける募金があった。国境無き医師団。足を止めて話を聞いたが、実は少ないが毎年募金に応じている。
 東本願寺へ行くともう閑散としていた。知人には奥まで廻って貰ったが、私は広場の隅のベンチに腰掛けて通りすぎる人や鳩を眺めて待っていた。夕暮れのほの暗さと、雨の前の湿り気が、寺院の雰囲気をもっと厳かにしている気がした。
 せかせか急ぐ夫に遅れないようにちょこちょこついていく妻、中国人らしい大人数の一家、寺の関係者らしい一行。皆が現れては、消えていく。
 と、大きな怒鳴り声。誰かに向かってなのか一人でなのか、わからない。知人も、その横を見て通り、「おかしい人がいた。」といいながら、帰ってきた。
 帰りは堀川通りを渡り、路地のような古い通りに入った。遠回りして、雨に濡れつつ歩いた。一区画の四辺を歩き、京都駅に戻った。
 本願寺等の仏具や法衣を扱う店がある一角である。ひとつの店が大通りでは現代的ガラス張り、路地では、昔風の格子窓、直角に面が変われば、別の顔をしていて、びっくり、面白くもあった。
 そぞろ歩きは私に速度を合わせてくれて、工事現場があると手を差し出してくれて、優しい人だ。
 京都駅で、止まったエスカレーター、何事もなく、動いていた。乗るとき少しばかりの緊張感を覚えたが、無事乗り越えた。

 長い一生のうちの一日、帰りのバスの中で思い返していた。 
 
エスカレーターに転倒注意寒波来る
寒に転び止まらず止まるエスカレーター
婆さんか若き男の寒の声
寒雀何事もなき京都駅
冬の京ま白きランドマークかな
じんはりと冬日が届くカフェテリア
親子友人恋人いづれも二人冬暖か
京都タワー雪積む比叡確かめて
はるか細き阿倍野ハルカス冬霞
冬の暮砂利踏む音のさまざまに
境内に怒る男や寒の暮
軽からぬ足取りの我夕時雨
底冷えの京今と昔を直角に
時雨るるや京の片隅工事中
スクランブル渡りかねける寒九郎
優しき手添えさせくれて冬の道  十河智