吉田神社の節分祭に出掛けました。

吉田神社の節分祭に出掛けました。
        2019/02/20
        十河智

 学生時代、あまり吉田山には登ることはなかったが、最近になって、山の中の喫茶店にいったり、同窓会の流れで散策したり、よくするようになった。
 一つの理由は、親しい友人が吉田二本松町に、岡崎から住居を移して、そこを訪ねれば、吉田山にということがある。
 吉田山の吉田神社の節分祭は、とても有名であるが、これも行ったことがなかった。
 今年は行こう!
 いつもこういうときに誘う守口の友人に連絡を取り、京都の人の都合も聞いて、2月3日に出掛けた。
 実は、有名な「鬼やらい」も前日、
「火炉祭」も当日深夜、見処は外してしまうことになるが、この歳でそう無理もできない。少し残念に思う。
 吉田山の辺りは交通規制があると思い、久し振りに出町柳から、時間を掛けて歩いた。
 百万遍、その辺から人通りが増えた。東大路から京大正門前に入ると、角からびっしり屋台が張られていた。人の出も、前に進むのがやっと。その雑踏を抜けて、吉田二本松町の友人宅へ辿り着いた。
 吉田周辺の友人の町内会で協賛していて、お祓いとぜんざいの券があるという。流石、京都、うちの町内会が催す自治会祭りとは格が違う。
 まずは、3人で用意して、お昼はすき焼きをした。この家の主人も入り、4人で食べた。玉葱とほうれん草を入れるのは、すき焼きとしては、私には珍しかった。この家では、淡路島で食べたのが美味しかったと、ずっとこれだという。玉葱もほうれん草も、とても美味しかった。後片づけもささっと済ませ、吉田神社へ出掛けていった。
 節分らしく鰯を焼いて売る屋台、八ッ橋や大安の漬け物など、京都の銘品の直営の屋台、町内会で出すぜんざいの店、見たことのないような新しい商品もあり、通るだけでも退屈はしないのだが、時に、行列が出来ていて、流れを妨げている。屋台の数がすごい。外国人もやはり多い。
 階段を登ると神社。車椅子の人を家族で下ろしているのに遭遇した。大変そうに一段ずつ。なぜスロープもあるのに、と思っていたが、帰りに答えがわかった。スロープが急すぎて、車椅子には危険なのだ。バリアフリーはそう単純ではないと思った。
 境内に入って、私も町内会の振りをして、お祓いを受けた。私は節分の豆まき用に福豆を買った。抽選つきだそうだが、もう来ることがないかもと抽選券は辞退した。抽選券が残り少なく、行列が続いていたので、欲しい人に当たればと思ったのだ。町内会のぜんざいは持ち帰りにして、麓の友人宅に帰りかけると、雨が予報よりも早くかなり強く降り始めた。
 深夜には復活した火炉祭もあり、屋台はこれからも稼ぎ時が続くはずだろうにと思って気の毒になる。
 火炉祭は、都会の真ん中の神社なので、一度中止になっていた行事のようで、神事ということで復活したらしい。受付では、中にくべるものの確認も厳密にされていた。空気を汚すものは排除されているようだった。深夜に大きく立ち上る邪気払いの火、見てみたかったと、また残念に思う。
 友人宅に戻り、お土産に持ってきたケーキの恵方巻とコーヒーでお茶をした。黒いケーキ、色は何かと話題になった。たわいのない話。たまにではあるが、会うと楽しい。幼い時からの知り合いである。遠慮もなく、家族のこともよくわかっている。3人でする話もあれば、大阪への電車の中で2人でする話もあり、喋り尽くす。
 雨が降っているので帰りは近衛通りへ出て、タクシーを拾った。近衛通りの突き当たりは、ひろばになっていて、タクシーを拾いやすい。この辺りは、大昔、下宿も多く、喫茶店や麻雀屋があって、よく遊んだところ。今は、思い出す術もなく、変わってしまっている。ただ広場だけがそのままである。
 守口の友人とは電車で別れた。
 深夜に吉田神社の福豆を主人が外に撒いて、形ばかり節分らしいことをした。
 いつの頃からか、年の数だけ豆を食べるのは止めた。
 
見てみたき吉田神社の鬼やらひ
友誘ふまた友に会ふ春近し
節分の吉田神社へひとたびは
節分祭百万遍まで歩かねば
福豆と綿菓子をもつ少女かな
東大路一条節分祭の賑はひに
京大は門を閉ざして追儺かな
面白や節分祭の八百屋台
豪華なる賞品福と節分祭
節分の鰯の隣リンゴ飴
大安の千枚漬や一の場所
屋台八百あれば八ツ橋湯豆腐も
冬帽子取りお祓ひの神楽受く
節分祭早く雨来てあはただし

すき焼きの拵え各自家の様
法蓮草の赤き根本の
甘きかな
新鮮な菜花の太き茎もまた
牛鍋にチリのワインと緑茶かな
恵方巻ケーキの黒に訝しげ
コーヒーをゆるりと啜りシクラメン
暇する玄関に咲く寒桜
冬の雨タクシーを待つ広場かな
お喋りをし尽くし降りる冬の駅

深更に二人暮らしの豆をまき