古都華パフェ完全予約販売

古都華パフェ完全予約販売
      2019/02/10
      十河智

 道の駅大和路へぐりへ、生花の花材、春の芽吹きの木々を買うのならここかなと思って行きました。
 ここは地産の野菜を使ったおかずが美味しいレストランくまがしステーションがあります。できたら古都華パフェ(とっても評判のいちごパフェ)も食べてみたかったので。去年はその場での予約でしたが、売り切れ続出、とうとう食べられませんでした。
 今年初めてでしたが、古都華パフェありました。もうシーズンに入っていましたが、大きくポスターには予約制と書かれています。今流行りのスマホやネットによる完全予約制になっていました。年寄りにはとても苦手で面倒なこと、娘が来たとき、一緒に行くしかないかとパフェは諦めました。
 ランチを食べて、花売り場を回って帰りました。

 電話予約もあればまだいいのですが、今テレビでは、大阪万博でも行列はできないと、予約制を取る話をしています。だんだんに取り残されていくように思われます。

平群より生駒をつつむ霞かな
いちごパフェ人気完全ネット予約
芽組む木々あれもこれもと道の駅  十河智

静岡県藤枝市の紅葉と鰻屋

静岡県藤枝市の紅葉と鰻屋
        2019/01/26
        十河智

 静岡滞在中、折角だから紅葉狩をと、娘に提案。子供たちが学校から帰るまでと条件付きで、行ける場所を探してくれました。「行ったことはないけど、滝の谷不動峡の紅葉まつりもあるところだから。」
 10時頃、出発して、藤枝方面へ。娘が普段運転する大きいワゴン車で出掛けました。前に孫と行った蓮華寺池公園を通過、さらに山の方へ、車の備え付けのナビではなく、スマホをうまく固定して、Googleナビに音声案内させています。地図が新しいので、便利なんだそうです。厳密には法令違反なのかどうか気になりましたが、順調にドライブできました。山の中へ入るとカーブが続き、大きい車大丈夫かなと、心配になりました。だんだんに紅葉が濃くなります。川に沿った細い道です。10分程そういう道が続くと、少し広いバスも停まれるような駐車場があります。ベンチや閉まってはいますが店もあり、紅葉まつりの旗が数本はためいていて、つい最近の土、日にあったらしい賑わいを感じさせています。ここは、神社や橋、峠、山の尾根等を含むハイキングコースの一部で、藤枝市のホームページに紹介しています。力に応じて、コースが設定されていて、そんな服装の人達も行き交います。紅葉まつりというだけあって、楓紅葉が、とてもきれいです。川原と石のモニュメント、水車小屋など、そぞろ歩きのみでしたが、満喫しました。陽射しに映えた紅葉と川のせせらぎ。石がおもしろい。山の斜面が人の手が入り、花を植えられています。ところどころに山茶花が伸び放題の大木になっています。
 お昼を私の希望で、また娘がスマホを検索、地元なので予備知識はあり、外れることはないと思いますが、便利な道具です、スマホは。
 一推しのところは休業。私はよく休業日に現地に行きがっかりしますが、そんなことをしないですね、若い者は。
 二推しのところへ予約、そこは人気で、注文を受けてから捌くので、予約して行く間にできるから、すぐに食べられるというのです。町へ戻り、今度は市街地を流れる整備された川沿いを走ります。分かりにくい斜めに入る道をスッと曲がり、園芸店の角の細道を進み、普通の家風のところの駐車場にいれました。お店の裏側のようです。角の園芸店は、うちのガーデニングと塀を頼んだ業者で来たことがある、といいます。評判は聞いていたがここのうなぎは初めてとも。
 「まるはんへそまがり」
 戸を開けて中は、一組客がいるくらい。炭火の炉がカウンターに沿っていて、鉢巻きをした店主が顔を覗かせていました。いらっしゃいはありません。従業員がでてきて、奥の部屋に案内されました。一種類なので、メニューもなく、待っていると鰻と肝吸い、これも評判のおつけもの。
 部屋の障子や箸包みに店主の似顔絵らしき絵と「へそまがり」の文字、面白いが、美味しい。全て予約のためか、帰り頃には賑やかな一団も来ていた。売り切れで、その日の営業は終了するようだ。
 娘と3人で、こうして、飛びきりのご馳走を食べた記憶はいつまでも懐かしい。大学卒業の後、いつもはいかないような高級ホテルのフレンチ、結婚前の最後の家族旅行の蟹尽くし(これで私の蟹アレルギーが固定という付録つき)、この日はそんな記念日ではないが、何年ぶりかの三人旅の気分を味わった。

おとななる親子三人紅葉狩
曲がり道もうひとつゆく谷紅葉
紅葉川辿りゆきけり水車小屋
山茶花やはらはらはらりおちてゐる
ハイキングコースの社秋の声
秋日影水の煌めき水の音
小鳥来る大岩まるでコツぺパン

紅葉山ここで繋がるスマートフォン

冬初め恥ぢらふ色のコキアかな
冬の街コキアの赤が愛でられて
鰻屋は角を斜めに冬の川
秋団扇鰻と炭の匂ひくる
秋寒の小部屋の障子墨の色
へそまがり親爺冷まじ声出さじ
鰻屋は美味きが全て暮の秋

御在所岳ロープウエイに再び

御在所岳ロープウエイに再び
        2019/01/24
        十河智
[書くことが多く、後に回していました。あまり季節がずれないうちに。]その5
もうすぐ春、十一月のことをやっと書き終ります。

 静岡からの帰路に三重、岐阜の鄙びた温泉で一泊して帰ることが、定例になりつつあります。そんなに贅沢はできないですが、ドライブがてら行ける宿が載っている旅の会誌から、この度は、御在所岳麓の湯の山温泉に寄ることにしました。
 高速道路上に御在所PA があり、よく眺めている山です。この温泉は、前に高校の同窓女子会で、近鉄電車を乗り継いで、行ったこともあります。ロープウエイがかなり急勾配で、谷が深く、山頂の眺望も遠く琵琶湖や富士も天気がよいと見えたりするところです。
 四日市インターを降りて、しばらくすると、湯の山温泉へ一直線の道路に出ます。途中は工業地帯の端っこから郊外の田んぼの中の住宅地、そんな少し開発されかかった田舎の風景が続きます。
 途中、車の入りやすい大きなコーヒーショップを見つけ、運転手を休ませました。そこにはありがたいことに電源もあって、スマホの充電も可能でした。工業地帯の端っこ、仕事の合間の客も多いのでしょうか?
 予約しておいた宿から届いたファックスの手書きの地図は、山に入ってからがわかりにくく、心配になりましたが、なんとか辿り着くことができました。
 川沿いの谷あいを利用して建てられた、玄関ロビーが五階という、温泉旅館によくある建物です。今の天皇が皇太子時代に止まられたらしく、侍従の和歌など記念に残っていました。着くまでの道筋には、古い温泉地には、例えば伊豆修善寺でもそうでしたが、古くなって使わなくなった建物がそのまま放置されていて、葛に埋もれていても、あまり見良いものではありません。ちょうどよい具合の紅葉の中にたまに廃屋が邪魔をするのです。地域として何とかすればいいのに、と思います。大浴場、客室からの眺めがいくらよくても興ざめでした。
 翌日は、御在所岳ロープウエイに乗り、山頂へ。登り口際に、前に宿とした旅館があり、その時の楽しい思い出を甦らせていました。何年か前でも今よりは元気だったなあと。
 山頂駅では、スロープのあるところへ案内してもらい、ゆっくりと展望台まで歩いていきました。寒い日でした。
 帰りはスロープを元に戻るのはかえって大変なので急な石段を降りて駅へ行くことにしました。対行して登ってくる人達も、かなりの歳の団体で、きつそうに、途中で止まり、はあはあしています。コースだからといって、無理をさせてはいけないなあと思いながら、行き違いました。駅の建物のレストランで昼食。
 駐車場へ向かっている途中に、登山用具を置くショップがあり、そこにはロープウエイをスタンプラリーする企画のポスターが張っています。日本全国にここと同じような登山もロープウエイも楽しむ八山を指定する、かなりお金のかかるスタンプラリーです。そういえばさっきスタンプ押していたなあ、とか思いだしていました。

その後、順調に、明るいうちに帰宅しました。

一直線冬の湯の山温泉
谷紅葉宿のロビーは五階なり
廃屋と新館列び山装ふ
晴れやかに彩として蔦紅葉
まだ青き実のぶらさがりさねかづら
冬木桜の芽歌に残れる行幸
紅葉谷深きやロープウエイ行く
御在所岳十一月のロープウエイ
ロープウエイスタンプラリー冬ぬくし
スロープへ案内と裏冷たかり
山頂に喘息発作めき眺望
発券はどこも自動化冷ゆるかな
鵙鳴くや琵琶湖を望む展望台
ありがたき手摺ここにも苔の花
駐車場落葉払ひて出でにけり  

探梅に出掛けました。

探梅に出掛けました。
        2019/01/24
        十河智
 探梅をどこにと、いつも行く梅の名所をいろいろ思い浮かべましたが、今年は、近つあすか風土記の丘の梅林へ行きました。
 いつもの博物館の前ではなく、友人に教えてもらった、風土記の丘の駐車場を目指しました。梅林が近いのと道が広く、行きやすそうでしたので。
 「近つあすか」、はわかるのですが、「風土記の丘」に思考が止まり、何でこの名前なのかな、この辺りと風土記?と公園の名称の由来を検索、すると、「風土記の丘」は博物館を併設する古墳群や遺跡の保存を目的とした文化庁の事業だそうで、府県が管理する公園につけられるそうです。案内図にある土の小山風のマークが古墳であることも理解しました。全国に何ヵ所も「風土記の丘」があることも知りました。
 これに似たようなことですが、前に「国営讃岐まんのう公園」の国立でも国定でもない「国営」が気になり、調べたことがあります。これも全国に何ヵ所かありました。
 文化や環境に配慮した施策も、ほそぼそやってはいるんですね。
 それはそれとして、探梅にふさわしいほどの梅はありました。
 帰りには「道の駅ふたかみパーク・當麻」でお茶するつもりでしたが、食堂は午後三時までに営業時間が短縮されていて、野菜とお菓子を買って、自販機コーヒーで済ませました。残念。

近つあすか風土記の丘や冬日
探梅や公園の人公務員
梅蕾む近つあすかの古墳群
探梅やあつと遠目に思へども
夫ばかり被写体であり探梅す
二上山全景を撮る冬霞
午後三時終了とあり寒土用
自販機のコーヒー椅子の冷たきに

私の「東京物語」

私の「東京物語
      2019/01/16
      十河智

 香川県という日本で一番小さい県で育ちました。
 明治時代から、志を持てば都会へ、次男、三男の口減らしも、都会へ、そういう所でした。私たちの時代でも。
 うちでは、父の叔父、私には大叔父という人が、一族の成功者でした。年に一度くらい、東京から来て、田舎の墓参の後、高松駅に近い私の家に泊まっていました。それはおおごとで、記憶に残っています。
 次男で、中学を出た後、旧制高校、大学を同郷の人の家で書生をしながら、卒業し、弁護士になり、八重洲口で事務所を構えていたそうです。そんなわけで、「東京駅の八重洲口界隈のお話」がまず私の東京への入り口でした。

 母が、外に出す私を心配、関西圏に行けと主張。大学は京都でした。
 部活のESSでは、東京遠征をやっていました。
 東京に行き、大学を廻ってスピーチ・ディベートなどで交流する夏休みの行事でした。
 二回生、三回生と二度参加しています。確か二泊はしたのですが、泊まったところも、本来のESSの活動もなんにも覚えていないのです。おんぶにだっこだったからでしょうか。
 東京中を電車で移動したこと、「若者たち」を歌いながらどこかの大学近くを歩いていたこと、断片的に、水道橋、お茶の水、上野、東京、新宿、高田馬場、そんな駅の名が出てくるだけ。
 銀座や浅草、神田、赤坂、六本木を雰囲気を楽しむために、お金もないのでただうろうろし、パーラーというところを知り、また当時新宿にあった歌声喫茶に行ったことを思い出しています。

 卒業旅行を友人と二人でやりました。 女の子二人連れを父が心配して、件の大叔父さんの家に泊まれと命令、頼んでしまいました。友人の親もその方が安心といい、半分自由のない卒業旅行でした。
 長野へ行っても朝早く出て、夜までに中落合の大叔父の家に帰りました。能率の悪い観光。方向を決めて、行っては戻るのですから。
 でも、その友人とは、思い出が残り、絆が深められました。
 ただこのとき東京は中落合と新宿駅の間しか見ていません。住宅街とバス停、電車と駅。

 次の東京着地は新婚旅行の帰りでした。
 東北地方をレンタカーで南下、盛岡市からJR (国鉄)で東京まで帰りました。
 主人は、高松でよく知る転勤族一家が今新宿近く居るので、私を会わせたいとその家を訪ねて行き、一泊。
 最寄りバス停と新宿駅との間をバスで往復しました。帰りの翌朝は通勤時間で、きっちり並んでバスを待つ人たちに驚きました。

 それから約二十年後、高校生の娘が原宿、竹下通りに行きたいというのでディズニーランドとセットで連れていって、歩きました。この前テレビ番組で、その当時のタレントショップが昭和回顧録として映っていましたが、クレープショップ、加藤茶松田聖子山田邦子の店など懐かしい映像でした。その時も娘たち(友達と二人)はこころゆくまで遊ばせて、私も表参道や周辺の小道に入り、居心地のよい喫茶店で時間を潰し、このときは半日ですが、少し東京らしいセンスを味わった気がします。
 東京駅はまだ昔のままで、薄暗がりの中を始めてみる路線図に従っての乗換が、とても難しかったと思います。
 駅で食べたうどんの色が、黒くて驚きました。ディズニーランド方面から竹下通り方面に移る途中、通路に「中村屋」があり、「月餅もカレーも知ってる」と、通り過ぎていました。
 以後、ごく最近まで、明治神宮での結婚式に夫婦で出掛けたり、それぞれの同窓会の会場へ、または旅の待ち合わせ場所として、朝一番ののぞみ、最終ののぞみでの往復が多く、東京は、用事の場所に直行するのみ、いつまでも、近くなっても、あまり知らない冷たい街のままでした。

 逆に関東から京都に来た同窓生が、最近、本音を吐露したことがありました。
 「京都に来たとき、言葉が馴染めず、笑えず、ずっと孤独だった。周りが恐かった。出掛けられなかった。」彼女には、当時、私が直ぐに馴れた京都、大阪とは違っていたようです。しっかりと他人を頼らない人という印象でしたが。 今は情報が多く伝わり、移動も簡単になり、関東・関西のあらゆる面での相互乗り入れが進んでいますし、「恐い。」はないでしょう。大昔の話です。

 娘が静岡に落ち着くことになって、最近そこを足場に東京へゆっくり出掛けられます。
 去年はじめて品川駅に降り立ち、プリンスホテルでの行事に出ました。東京駅の乗降より楽でした。
 東京が再開発された、新しくなったとニュースで聞くたびにいつか行ってみたいと思ったものですが、行けずじまいで二十年以上経ってしまいました。
 去年、六本木ヒルズと乃木坂経由国立新美術館に娘と二人でゆっくりと行くことができました。
 お昼は六本木ヒルズで、イタリアン。ワインセラーの廊下をずっと奥まで行くとぱあっと広がるフロアー。きびきび動くウェイターたち。ドリンクのお代わりができる。カルボナーラとパエリアはおいしかった。接客も行き届いていて、大きいホール全体を見渡す位置にチーフがいて指示しているようでした。外国人にも、主婦や家族連れにも、一人できた仕事ができそうな人たちにも、てきぱきと席を宛がっていき、早めに行って閑散としていた空間が、みるみる一杯になりました。支払いはアナログで、テーブルでというのには驚きましたが。「お味はいかかでしたか?」と声を掛けてくれて、東京の空気に初めて暖かみを感じました。
 ビルの前の広場でふと見上げると、大きな蜘蛛の足許にいました。お洒落と思っていました。
 ここの美術館はスルーして少し歩いて国立新美術館に行くことにしました。
 少し曇り勝ち、時雨も来そうな寒い日でした。大きな交差点を渡り、街中を行くと、坂の高低差を急な階段で降りることになりました。娘が一緒だと気兼ねなく、こういうときも楽です。降りたところはトンネルで、駐車の車も高級な外車、それでもスプレーの落書きがありました。変なところが全国共通。
 そこを抜けて、冬木立の庭園風の道を進むと、新美術館。その巨大さに圧倒されました。大きな建物が、完全にだだっ広い空間に全体を見せていて、凄さがありました。お城くらいでしょうか、同じ感覚を味わったことがあるのは。
 大きな展覧会を二つやっていました。見ていなかった方のピエール・ボナール展に入りました。
 帰りは乃木坂駅から東京に出て、新幹線でというコースを、娘がスマホで決めていきます。乗換に霞ヶ関駅を通りました。忌まわしい事件を思いだし、息が詰まりました。東京駅で乗ったので、座って帰れました。品川駅からどっと乗り込んできて、静岡で降りる人が多いようです。お買い物やちょっと遊びに行く人で一杯みたいです。私もこれからそんな人たちの仲間入りをしようかな、と思っています。
 
何十年ぶり小雪の山手線
六本木ヒルズビジネス街の冬景色
イタリアンおしやれなコート着て一人
ワインセラーの穴蔵抜けて冬の窓
正午には満席の店寒の水
六本木時雨るる中を乃木坂へ
大東京国立新美術館落葉
冬暖かピエール・ボナール展の猫
日比谷線丸ノ内線冬の昼
大丸のポイント冬の東京駅
寒木や連休前の新幹線
富士に雪降つてゐさうな空見つつ
皆降りる静岡駅の寒暮かな

富士宮市…富士山・焼そば・将棋の駒

[書くことが多く、後に回していました。あまり季節がずれないうちに。]その3

富士宮市…富士山・焼そば・将棋の駒
       2019/01/10
       十河智

去年のことになりましたが、孫二人の誕生日が前後にあり、十一月に十日間ほど娘のところへ行きました。まだ寒くなっていなかったと思います。いま小寒の凍るような寒さの中では、思い出すこともできないのですが、それなりに寒い日もありました。
 ゆっくりと一日掛けて移動の後、近江八幡彦根での寄り道もあり、静岡へは、夕方到着しました。運転を変わると言いつつ、最後まで主人に一人運転させてしまいました。車で行きたいけど、少し疲れも出るようになったらしく、よく変われと言われますが、私には自信がなくて、大体こうなるのです。
 引っ越して一年になるので、何回か来たこともあり、一方通行の多い周辺道路も間違わずに、娘の家に着くことができました。
 静岡は本当に故郷の高松と雰囲気が似ていて、溶け込める街の佇まいがあります。
 二階から孫が顔を出し、新しい家を住みこなしているようです。少しばかりの植栽も大きくなっているようで、枯らさないで、夏は越したようです。
 玄関近くにあった木に惹かれました。。背の低い濃い緑の細く尖った葉で、黄色の丸い実がたわわでした。南天にしては葉が違うなと思うので、検索してみました。スマホは便利です。時間を掛けると、大体正体がわかります。細葉ヒイラギナンテン、黄色い実もあると書いてありました。綺麗な黄色の玉にしばらく見入っていました。
 荷物を下ろし、近くのタイムズ、一日五百円、の駐車場に置きに行きます。少し遠い婿の勤め先では長逗留になると、たまに車で出掛けたいときに不便なのです。タイムズも会員証を持っていて、活用すればもっと安くなるのでしょうが、面倒で、あまり使っていません。いつもコインひとつですむので。
 ちょうどその頃、一度寒波が襲いました。静岡に来てから、若い家族の家はは少し足りないくらいの暖房ですし、今風なのか天井が高く、容積が大きいので、効率も悪い気がします。二日間ほどはぐったりしていました。
 床暖房の暖かさにうとうとしていると、孫たちは、時間制限があるもののテレビでゲームをやっています。それぞれにデータがあるようです。テレビの中のことなのか、兄弟同士でなのか、それさえ判別不能。訳の分からないいさかいをしています。
 ゲームを止めた後、意外にも、お祖父ちゃんに将棋を教えてと寄ってきます。二人とも。最近将棋を覚え始めたようで、前に買ってやっていた動く方向を書いた矢印のある駒を使って練習しているようでした。主人は喜んでいます。このまま興味が続いて、対戦できるようになってくれたらと思ったことでしょう。

 (実はこのお正月に会ったときは、もう将棋のシの字も出ませんでした。子供の興味は移ろいやすく、もう次のブームが来ていました。)

 自分がいつも携帯している雑誌「将棋世界」の付録の問題をやらせたり、ハンディ付きで相手をしてやっていました。私は、キッチンに立って、鰈を煮ながら、お祖父ちゃんに挑む孫たちを見ていました。結構一生懸命にやっている様子。次の日は休日、朝も昼も夜も、ちょこっとやって来ては三手詰めをやったり、対戦したり、えぇーっというほど、将棋、将棋でした。ちょうど藤井聡太七段が話題で、学校で将棋が流行り出したらしいのです。
 主人が富士宮は将棋の駒で有名、おもちゃの駒では打ちにくいと、買ってやりたそうに言い出しました。娘がインターネットで調べると富士宮市では将棋の町としてどの文房具店でも将棋の駒を売っているとの情報を得て、翌日は一家で、行楽がてら富士宮まで行くことにしました。
 途中、反抗期にもあるらしく、孫達がすねる場面もありました。富士宮焼そばを食べようと、私の希望で入り掛けた店が気に入らなかったようなのです。こどもは突然に不機嫌になり、車から降りようとしません。一人は寝起きだったためらしく、直ぐについてきましたが、もう一人は少し放っておいて、母親が迎えにいきました。その店のメニューに、たこ焼きもあって、自分で焼けるのが気に入ったのか、その内に機嫌が治っていました。
 その後ネットで探した文房具店に行きました。とても奥行きがある店で、駒は一番奥のガラスのケースにいれて売っていました。練習用と言って出してもらった、それほど高価でないものにしましたが、後学のために見ていると、相当な値のものもあり、びっくりしました。一緒に簡易の折り畳める将棋盤も買いました。
 帰りのドライブ中にいい富士山が見えました。静岡にいて嬉しいことのひとつ、年賀状用の写真を撮ることができました。さらに撮って選びたいと富士山の見える喫茶店で検索して、ペチカの燃える古民家風の店に寄りました。庭の木々は紅葉し、手入れも行き届いて、いいお店でした。雲があってここではいい富士山が撮れませんでした。車から撮ったものを年賀状に使うつもりです。

(少し加工して年賀状に使いました。)
 
 その夜、お祖父ちゃんは、駒を打って出る音に満足そうでした。
 家族が六人になると、にぎやかで楽しい。鍋も大きく、料理の時間も長い。でも、それが暖かくていい。嫁にやった娘という思いは残るので、遠慮はあるが、時々こういう長期の滞在もしたい。つくづくそう思う。 
 
玄関にホソバヒイラギナンテン
疲れ来て寒波の前に倒れたる
冬眠のまるまる二日回復す
床暖房ゲームに変はつてゐる画面
寒鰈娘のキッチンにて煮たる
将棋する二人の孫や日向ぼこ
三手詰問題解けた冬の夜
彫りの駒木の将棋盤冬の富士
将棋駒あるとふ文具店寒し
駒を打つ音に満足冬暖か
六人で大鍋おでん賑やかに

娘一家が正月帰省しました。

娘一家が正月帰省しました。
       2019/01/04
       十河智

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 暮れの28日深夜にやって来て、正月三日昼まで娘一家が泊まりました。
 いつものごとく、一家は大阪で旧交を温めることが忙しく、あまり親とは付き合って貰えず、孫もいま二人でNゲージなる鉄道模型に夢中で、お年玉はそれに即注ぎ込まれていました。娘しか持たないので知らなかったのですが、婿もこの古い型を持っていて、両方並べて組み立てていました。親子でなかなかいい光景でした。
 大晦日のお蕎麦もみんな食べてくれました。香川では、大根、人参、里芋、あげ、色々千切りにしていれるしっぽくです。
 雑煮も餡餅をいれます。大阪で調逹すると餡の具合が違う感じがするので、実家から、餅と味噌を送ってもらっています。
 一通りのお節と、いい牛肉と蟹を生協で用意していましたが、うまく加減できて、残らなかったのがよかった。今日は、蟹鍋の出汁で雑炊です。
 三日には帰って行きましたが、また途中の渋滞とか雪とか、予報に注目しつつ、連絡を待っていると、「3時に出て、11時静岡着、すごい渋滞だった。」と、孫の兄の方がきちんと報告してくれました。大きくなったものです。
 
雪化粧する予報なり孫来る日
雪凍結鈴鹿辺りを越えて来る
婿もまた餡餅と言う雑煮かな
三日めの餡餅雑煮飽きもせず
兄弟で淑気を破るN(エヌ)ゲージ
お年玉Nゲージへと注ぎ込まれ
加減してお節残らぬ重箱に
孫去にて家に淑気の戻りしか
渋滞が凄かったとふ三日かな
帰り着きし元気な孫の初電話