私の「東京物語」

私の「東京物語
      2019/01/16
      十河智

 香川県という日本で一番小さい県で育ちました。
 明治時代から、志を持てば都会へ、次男、三男の口減らしも、都会へ、そういう所でした。私たちの時代でも。
 うちでは、父の叔父、私には大叔父という人が、一族の成功者でした。年に一度くらい、東京から来て、田舎の墓参の後、高松駅に近い私の家に泊まっていました。それはおおごとで、記憶に残っています。
 次男で、中学を出た後、旧制高校、大学を同郷の人の家で書生をしながら、卒業し、弁護士になり、八重洲口で事務所を構えていたそうです。そんなわけで、「東京駅の八重洲口界隈のお話」がまず私の東京への入り口でした。

 母が、外に出す私を心配、関西圏に行けと主張。大学は京都でした。
 部活のESSでは、東京遠征をやっていました。
 東京に行き、大学を廻ってスピーチ・ディベートなどで交流する夏休みの行事でした。
 二回生、三回生と二度参加しています。確か二泊はしたのですが、泊まったところも、本来のESSの活動もなんにも覚えていないのです。おんぶにだっこだったからでしょうか。
 東京中を電車で移動したこと、「若者たち」を歌いながらどこかの大学近くを歩いていたこと、断片的に、水道橋、お茶の水、上野、東京、新宿、高田馬場、そんな駅の名が出てくるだけ。
 銀座や浅草、神田、赤坂、六本木を雰囲気を楽しむために、お金もないのでただうろうろし、パーラーというところを知り、また当時新宿にあった歌声喫茶に行ったことを思い出しています。

 卒業旅行を友人と二人でやりました。 女の子二人連れを父が心配して、件の大叔父さんの家に泊まれと命令、頼んでしまいました。友人の親もその方が安心といい、半分自由のない卒業旅行でした。
 長野へ行っても朝早く出て、夜までに中落合の大叔父の家に帰りました。能率の悪い観光。方向を決めて、行っては戻るのですから。
 でも、その友人とは、思い出が残り、絆が深められました。
 ただこのとき東京は中落合と新宿駅の間しか見ていません。住宅街とバス停、電車と駅。

 次の東京着地は新婚旅行の帰りでした。
 東北地方をレンタカーで南下、盛岡市からJR (国鉄)で東京まで帰りました。
 主人は、高松でよく知る転勤族一家が今新宿近く居るので、私を会わせたいとその家を訪ねて行き、一泊。
 最寄りバス停と新宿駅との間をバスで往復しました。帰りの翌朝は通勤時間で、きっちり並んでバスを待つ人たちに驚きました。

 それから約二十年後、高校生の娘が原宿、竹下通りに行きたいというのでディズニーランドとセットで連れていって、歩きました。この前テレビ番組で、その当時のタレントショップが昭和回顧録として映っていましたが、クレープショップ、加藤茶松田聖子山田邦子の店など懐かしい映像でした。その時も娘たち(友達と二人)はこころゆくまで遊ばせて、私も表参道や周辺の小道に入り、居心地のよい喫茶店で時間を潰し、このときは半日ですが、少し東京らしいセンスを味わった気がします。
 東京駅はまだ昔のままで、薄暗がりの中を始めてみる路線図に従っての乗換が、とても難しかったと思います。
 駅で食べたうどんの色が、黒くて驚きました。ディズニーランド方面から竹下通り方面に移る途中、通路に「中村屋」があり、「月餅もカレーも知ってる」と、通り過ぎていました。
 以後、ごく最近まで、明治神宮での結婚式に夫婦で出掛けたり、それぞれの同窓会の会場へ、または旅の待ち合わせ場所として、朝一番ののぞみ、最終ののぞみでの往復が多く、東京は、用事の場所に直行するのみ、いつまでも、近くなっても、あまり知らない冷たい街のままでした。

 逆に関東から京都に来た同窓生が、最近、本音を吐露したことがありました。
 「京都に来たとき、言葉が馴染めず、笑えず、ずっと孤独だった。周りが恐かった。出掛けられなかった。」彼女には、当時、私が直ぐに馴れた京都、大阪とは違っていたようです。しっかりと他人を頼らない人という印象でしたが。 今は情報が多く伝わり、移動も簡単になり、関東・関西のあらゆる面での相互乗り入れが進んでいますし、「恐い。」はないでしょう。大昔の話です。

 娘が静岡に落ち着くことになって、最近そこを足場に東京へゆっくり出掛けられます。
 去年はじめて品川駅に降り立ち、プリンスホテルでの行事に出ました。東京駅の乗降より楽でした。
 東京が再開発された、新しくなったとニュースで聞くたびにいつか行ってみたいと思ったものですが、行けずじまいで二十年以上経ってしまいました。
 去年、六本木ヒルズと乃木坂経由国立新美術館に娘と二人でゆっくりと行くことができました。
 お昼は六本木ヒルズで、イタリアン。ワインセラーの廊下をずっと奥まで行くとぱあっと広がるフロアー。きびきび動くウェイターたち。ドリンクのお代わりができる。カルボナーラとパエリアはおいしかった。接客も行き届いていて、大きいホール全体を見渡す位置にチーフがいて指示しているようでした。外国人にも、主婦や家族連れにも、一人できた仕事ができそうな人たちにも、てきぱきと席を宛がっていき、早めに行って閑散としていた空間が、みるみる一杯になりました。支払いはアナログで、テーブルでというのには驚きましたが。「お味はいかかでしたか?」と声を掛けてくれて、東京の空気に初めて暖かみを感じました。
 ビルの前の広場でふと見上げると、大きな蜘蛛の足許にいました。お洒落と思っていました。
 ここの美術館はスルーして少し歩いて国立新美術館に行くことにしました。
 少し曇り勝ち、時雨も来そうな寒い日でした。大きな交差点を渡り、街中を行くと、坂の高低差を急な階段で降りることになりました。娘が一緒だと気兼ねなく、こういうときも楽です。降りたところはトンネルで、駐車の車も高級な外車、それでもスプレーの落書きがありました。変なところが全国共通。
 そこを抜けて、冬木立の庭園風の道を進むと、新美術館。その巨大さに圧倒されました。大きな建物が、完全にだだっ広い空間に全体を見せていて、凄さがありました。お城くらいでしょうか、同じ感覚を味わったことがあるのは。
 大きな展覧会を二つやっていました。見ていなかった方のピエール・ボナール展に入りました。
 帰りは乃木坂駅から東京に出て、新幹線でというコースを、娘がスマホで決めていきます。乗換に霞ヶ関駅を通りました。忌まわしい事件を思いだし、息が詰まりました。東京駅で乗ったので、座って帰れました。品川駅からどっと乗り込んできて、静岡で降りる人が多いようです。お買い物やちょっと遊びに行く人で一杯みたいです。私もこれからそんな人たちの仲間入りをしようかな、と思っています。
 
何十年ぶり小雪の山手線
六本木ヒルズビジネス街の冬景色
イタリアンおしやれなコート着て一人
ワインセラーの穴蔵抜けて冬の窓
正午には満席の店寒の水
六本木時雨るる中を乃木坂へ
大東京国立新美術館落葉
冬暖かピエール・ボナール展の猫
日比谷線丸ノ内線冬の昼
大丸のポイント冬の東京駅
寒木や連休前の新幹線
富士に雪降つてゐさうな空見つつ
皆降りる静岡駅の寒暮かな