友人たちとの再会

友人たちとの再会
       2018/03/30
       十河智


 最近、昔よくお付き合いした人と会う機会が続く。

 一、

 電話が鳴った。
 何十年ぶりかで聞く声。線が細く、気を使いすぎる人。
 変転のパート勤めを繰り返していた頃の、あまり居心地のよくない職場で愚痴をこぼしあった同僚である。神戸から山の方へ入った三木市に住んでいて、どこへでも行くので逢いたいと言ってくれる。二十数年前に、彼女が、永住の地として、三木に移った頃、私が訪ねたことがあり、香川へ帰省の時、三木インターを下りれば、彼女のところかと、いつも思い出す人であった。
 職場では、いろんな事情から、花博の頃半年くらいだが、その後も、近所だったり、彼女に遅い子育てがあり、協力を頼まれて、子連れ買い物の手伝いをしたり、個人的なお付き合いを二年ほど積み重ねた間柄である。十歳ほど若い。
 あるとき、買い物に出掛けた時、店員が私の方にばかりすり寄る。不安がよぎる。娘と一緒の時、同じ様に扱われることを思い出す。店員が「お母様」と、とうとう、口に出す。白髪のせいだろうが、ショックだった。そんな苦い思い出の友人である。元気であるが、細やかで、悩みの多い人である。
 遠すぎてなかなか会えない。神戸や三宮は句会だったので、時間がとれず、あっという間の二十年であった。
 淀川を渡るのに、高槻から枚方京阪バスを教え、彼女にも馴染みのある枚方まで来てもらって、同じ職場での元同僚、枚方に住むもう一人を誘い、彼女の知らない、枚方T - SITE (TSUTAYA枚方)に再会することになった。
 T - SITE の一角のカフェで、ランチをしながら、子供たちのこと、親の後始末のこと、思い出したくはないブラックな職場のこと、たった三時間のことだが、会っていなかった時間がどこかへ飛ぶほど、話をした。
 他愛ないと言えば他愛ない。しかしこれこそ一期一会、会えるときに会わないと次はないように思う。年賀状もこころもとなく、いつ止めようかと思うこの歳である。
 話疲れて、午後から仕事の枚方の友人が去り、神戸元町に車を置いてきたと言う彼女を、バス停まで連れていった。彼女は、茨木駅行きを見つけ、そちらに乗って行くと、早い方にした。バスを見送った。

淀川の春を伝ひて遠路来る
この人の母と呼ばれし春のセール
春キャベツ娘も大学と近況を
ブラツクな職場なりしかカフエ長閑
デパートに寄ると別るる春の昼 

 二、
 少し途切れていた年賀状に携帯メールのアドレスを書き添えていたら、三月になって、繋がってますか?とメールが来た。
 幼稚園で年長組のクラス役員を二人でやったママ友、彼女も私よりだいぶん若い。まだ運転すると言う。外環国道170号の端と端、に住む。
 久し振りに会おうということになった。取り敢えず落ち合う場所を、中間の八尾に最近できたコメダ珈琲店に指定してきた。うちのナビにはでなかったが、うろ覚えで、行った。店で聞いて違っても、同じ店だから教えて貰えると入っていくと、ニコッと立ち上がる顔が懐かしい。
 幼稚園の父兄参加の行事のために、いろんな準備を一緒にした。二人とも物を作るのが好きで、そんな仕事は楽しかった。彼女は生地をたくさん持っていて、洋服も作っていた。この日の服も手作りらしいので聞くと、これは知り合いに貰ったと言っていたが、いろいろと昔の楽しいかかわり合いが思い出された。陽気な人で、子供は三人、逞しい人である。そんな笑顔が今再開して、目の前にある。
 その後しばらくして、千早赤阪村の新興住宅地に移っていき、運転免許を取ったと連絡がきた。私も、当時、病気の後で、仕事をしていず、それを聞いて、運転免許に挑戦したのだったと思う。晴れて免許を得た後、一回ずつお互いの家を行き来した、その事なども話題にして、話が弾んだ。彼女も仕事を持っていたし、趣味も色々あった人で、それ以来、一、二回、ほんの一瞬、すれ違うような再会のみであった。それでも、気の合う、家族のような感覚で接することのできる友達である。
 桜の季節で、どこかにいこうと話がまとまる。私がよく行く近つ飛鳥や二上山も行動範囲のようである。そちらでもいいと思ったが、寝屋川が懐かしいと言うので、寝屋川公園の桜の広場へ行くことにした。寝屋川には、意外と、桜の公園が多い。
 送ってくれた主人に迎えは要らないといって返し、彼女の運転する車で、寝屋川中の桜三昧をした。途中、外環沿いの深北緑地公園、右に折れて、打上川治水緑地公園、それから、寝屋川公園と桜の並木道を抜けるコースを案内して、ドライブした。あいにくPM2.5が多い日でもあった。黄色っぽく霞む空気のなかでも、満開の桜は、きれいと言ってくれた。
 寝屋川公園にも夜桜のためにぼんぼりが連なっていて、昼も近所の人たちが散歩がてら、桜を見に来ている。暑い夏日という一日だった。彼女は日焼けをとても嫌がって、手袋をし、縁の大きい帽子を被った。少し遊具とベンチもある場所に座り、桜を観ながら春の風を感じていた。音はなく、柔らかく頬を撫でて、桜の花を揺らす風である。子供が鉄棒にぶら下がり、一回りして、走り去る。二人連れの、夫婦やサラリーマンや、おばさまたちが、次々と桜の道を通っていく。春。
 彼女はブログをしているという。お互いのブログ名を教えあって、近況を知らせあえる様にした。これからは時々こうして会うこともできる友達に復活できた。

霾やこの道果つるところより
ソメイヨシノ儚く夢の続く道
春昼のカフェに明るき笑顔して
ふわふわと絹の軽さや春の服
再会は桜の下で風に乗る
風光る鉄棒あれば回る子よ
春暑し長手袋の運転手
霾や生駒はセピア色の中