茨木和生句集「潤」を読みました。

茨木和生句集「潤」を読みました。
        2018/12/07
        十河智

茨木和生句集「潤」を読みました。
 奥様とのお別れへの一日一日が、そのまま俳句に残されていて、私たちにも来るであろうそのときの心構えが示されているような気がしました。
 もちろん、著者の悲しみ、哀悼の気持ちからの俳句であることは、紛れもないことですが、毎日のように私たちの親世代、90歳前後の方がお亡くなりになったという年賀欠礼の葉書が届く、このような時代にあって、個人の哀しみを越えたところに、この本が著された意味を見てしまうのです。
 心に残る句を挙げます。

平成28年
賑やかに門の神棚作らばや春着着て童女の笑みのおのづから
喜寿といふ齢嬉しき祝月
口紅の唇一夜官女舐む
母の忌の近づく雛を祀りけり

(平成29年)
祇園へと誘ひ出されて夢枕
産土のお下がりなるよ粥柱
深吉野の星けぶらせて霜くすべ
この世よりあの世にぎやか翁の忌
長生きの連れが揃ひて薬喰

(平成30年)
ダイスキが最後の言葉春日差
息絶えてゆく春日差傾きて
野に遊ばむ命生き切りたる妻と
残されしわれも遺品か春の星

妻と来しことのある野に青き踏む