琴平で最後の同窓会がありました。

琴平で「最後の」同窓会がありました。
       2018/05/18
       十河智

この頃よく同窓会が開かれる。老いてくると、これが最後と、かならず、この文言が入る。
 二人暮らし、まあ付かず離れず、片方だけの予定は、たまにしか入れない。
 今回の私の故郷での同窓会の誘いも、夫に高松までは送ってもらった。
 一人娘の子供の時の帯や着物を貰ってくれると言うので、弟嫁の姻戚に渡して貰う荷物を運ぶためもあった。終活の走りである。
 一泊はそんなわけで、私の実家。弟の嫁は料理好き。次次と出てくる。スズキの塩麹漬けが美味しかった。皿も凝ったものを使う。
 翌日、午後からの集合なので、たまにしか行かない行列の必至なうどん屋へ行った。弟は馴染みらしく、店主がサービスに一皿天ぷらをつけていた。店への途中の昔話は、お花見をした里山、よそ行きの服があったなど、嫁と思い出を話す。仕立て屋で幼なじみなのだ。今はもうここで花見はしないらしい。

次次と弟嫁の夏料理
西方寺山の緑や昔の話
うどん屋へ茅花流しの軽やかに
いか天ざるうどんかなり馴染みの弟も 

 午後3時に高松駅前の広場で集合。主人は宇多津が琴平に近いので、瀬戸大橋の袂にホテルを取っている。
 高松駅の前は、ウォーターフロント再開発後、ひろびろと見通し良くなり、気に入っているが、待ち合わせの場所が、特定しにくい。幹事に電話して駅の中の改札口前と確認した。
 駅にはうどん県に更に輪をかけて、うどん駅と掲げている。もういい加減いいのではないか、といいながら、日に一度のうどんを食べたところである。
 次次と集まってくる。みんな、コンビニや食堂で隠れていたらしい。ある人は、一年後輩の芥川賞作家に偶然会ったらしく、挨拶させに連れてきた。作家さんも気の毒なことで、会釈だけして、去っていった。
 旅館からマイクロバス二台で迎えに来ていた。琴平は、金丸座の歌舞伎もあり、JRも特急が止まる、空港が近くなり、飛行機の便もいい、そんなこんなで、人気だそうだ。空港への道として道路が整備されていた。一時間くらいバスに揺られた。黄色いポピーが咲いていた。満濃池の一部を掠った。行いがいいから今日も明日も雨が降らない、といいながら、バスを降りる。
 宿は、歌舞伎役者が公演の時の常宿らしく、また、皇族方がお泊まりになったと、一角に写真や書など展示してあった。鍵が露なVIP ルームは、ちょっといただけなかったが。
 宴には62人も集まった。まだ泊まるところのある人や地元の人は途中、抜けてゆく。老い方や活力は千差あって、これが同い年かと、驚くほどである。二次会はカラオケ。私は、お酒をのみ、口ずさんでいるが、マイクは苦手。カラオケに合わせられない。
 ご当地ソング、お遍路さんに関係のものもあった。「空海の道」と言う歌、最後まで歌い切る人がいた。お風呂の時間を残して、散会した。
 部屋は書が飾られ、落ち着いた雰囲気、小学校の同級生どうしだった。幹事が色々気を使ったようだ。
 翌日、金比羅参りの人たちを見送り、チェックアウトはぎりぎりにして、電車の駅に歩いた。雨の前兆なのか、湿度が高く、しんどい日になりそうだった。
 町は参道とは少し外れているところで、落ち着きのある古い歴史も感じる雰囲気であった。琴電もJR も、駅舎は外観が古いままで優雅である。設備はそれなりに新しい。久し振りに乗る。西讃の農村風景を満喫した。うどんの小麦、キャベツや他の野菜の畑、自家消費のための菜園、のどかだった。
 夫との待ち合わせもすんなりいった。後は帰るだけ。帰路を淡路ルートに設定。最後に津田SA で、またうどん。香川に帰ると食べてしまううどん愛。ソフトはもうひとつだった。

うどん県さぬきのうどん駅薄暑
高松の港と城の駅暑し
芥川賞作家の会釈夏帽子
片陰や遠きところに送迎車
夏日なり名簿離さぬ幹事連
ポピー咲く宿への途中此処彼処
琴平へ夏野の中に一路かな
こんもりとさぬきの山の滴りぬ
驟雨後讃岐の川に水多し
善行賞今日と明日は五月晴
金比羅歌舞伎役者のサイン薄暑光
老い方の分かれ集ひし夏料理
夏の宴いつしかいつもこれが最後
夏の宿夫の同期の支配人
思い出の断片夏の夜は更けて
高松に縁(よすが)も消えて夏座敷
二次会は浴衣ゆったり着て歌ふ
明早し相部屋の人朝風呂に
杖選ぶ金比羅参りへと夏の朝
チェックアウトきつかり十時青葉時
ふらふらと琴平駅へ梅雨きざす

むんむんと讃岐山脈夏霞
麦の秋琴平宇多津間の駅
ゑんどう豆翁もくもく摘みてをり
採り残すきやべつのぽつりぽつりかな
待ちかねて駅に立つ人風薫る

うどん県最後にうどんソフトクリーム
苺ソフト粒無く期待外れけり