瀬戸内寂聴句集「ひとり」

瀬戸内寂聴句集「ひとり」
     2018/05/11
      十河智

 帯に、『突如、「句集」という字が浮かんだ』とある。
 俳句はご本人の言葉に寄れば、下手。才能はない。俳句をやれと言われては、指導者に俳句の才能はないと思われ、見てもらえなかった話。黒田杏子さんのあんず句会、句誌「藍生」立ち上げにともない俳句を再度作りはじめてまた中断したという。三十年、あんず句会の盛況を杏子さんの力量のゆえと感動の言葉。しかし、自分の俳句は下手で恥ずかしいと、書く。
 九十五才になった今、余命を愉しむことを考えていて、突如「句集」という字が浮かんだ。そういう結果のこの句集らしい。俳句の面白さが浮き彫りにされるエピソードだ。俳句にはおのずから「ひとり」が現れ出でる。句集にして、死んだとき、ごく親しい人だけに見てもらえばいい。そう思われたその気持ち、とてもよくわかる。

 俳句の一句一句は、秘められた物語を思わせる、余韻というよりは、氷山の一角とでもいうもののようである。別の章のエッセイを読むと、その感じ方がそれほど間違っていないことに気づく。
  
 人に逢ひ人と別れて九十五歳 寂聴

 宗教心の薄い私には、寂聴さんの仏門に帰依した心境は、よくわからない。ただ、先に逝くひとを思い、懐かしむ心情に深く共感する。「ひとり」を意識しつつ、逝く人を思う気持ち、まだまだ若い私も、既に老境を感じて、心の準備を迫られる。

 柚子湯して逝きたるひとのみなやさし 寂聴

 生ぜしも死するもひとり柚子湯かな 寂聴


 寂聴さんの生きて来た道程を映す句もところどころに。

 花おぼろ第二の性を遺し逝く 寂聴

 *ボーボォワールを悼むこの句、この句集で、私にとっては、一番の句である。*

 初恋も海ほほづきの音も幽か 寂聴

 *私にもそうだが、徳島生まれの寂聴さんにはほおづきといえば、海ほおづきだったと思う。*

 ぼうたんのうたげはをんなばかりなり 寂聴

*尼僧たちの集まりなのかもしれないが、もっと前の人生の一ページなのかも。人生を、男と交わりかつ戦っている、気づいてみれば、いつも女どうしが議論し慰めあい、集まっている。*

 むかしむかしみそかごとありさくらもち 寂聴

*寂聴さんの小説を読みたくなる。ご本人にほんとに思い出すみそかごとあり、なのかとも。*

 たどりきて終の栖や嵯峨の春 寂聴

 *今の偽りなき寂聴さんの思いであろう*
 
 
 人に頂いた図書カードを使いたかった。京都丸善が再開してから、まだ行ったことがなかった。やっと行く。俳句の棚を何気なく覗いた。この句集が目に留まった。俳句とともに老いてゆくことが愉しいと思う寂聴さんに会うことができて嬉しかった。