理想的な死に方の現実

理想的な死に方の現実
       2017/5/25
十河智
 ひさびさにかつての同業者で、今も少し残している仕事の仲間の店に顔を出す。今は廃業して薬局を持たない私が、彼女の店に立ち寄る目的はふたつ。嘱託で引き受けている業務上必要な物品や自家消費用の医薬品を調逹すること、彼女の九十才を越えたお母様のお元気そうなお顔を確認すること。
 お父様、お母様にはご主人様、を亡くされた後、兄弟が独立してゆき、友人は独身のまま仕事一筋、その娘さんの補佐役として、店の経理を担当し、店番や家事を引き受ける。お話がおもしろく、新しいことにも興味を持たれ、旅行に連れていって貰ったと嬉しそうに語られていた。たまに、お菓子やお惣菜など差し入れをすると、美味しいと言って貰えた。いつも店の電話の前で伝票の整理をされていた。銀行や病院にもお一人で行動されていた。お肉が好きとおっしゃっていた。いつも百歳が目標と頑張っておられた。
 それでもご高齢である。調子を崩されることもあった。私も自分の予定を消化しておりしばらく行かなかったし、春の寒い時期には風邪を引かないように奥に引っ込んでいると友人が言ってかなり長くお会いしていなかった。
 このたび、久し振りにお母様の顔を探すように店にはいると、いつもと変わらない友人の顔が迎えてくれた、が、またお母様はいらっしゃらない。仕事上の話を、普通に段取りして、友人が一呼吸おいて、切り出した。「お母ちゃん、亡くなったの」、脳と心が始めその言葉を受け付けず、二回ほど聞き返す。「えっ⁉」「死んでしまったの」、「どう言うこと?」「先週初めに、食欲無くて、近所のいつもの先生のところから、訴えを聞くと脳外科のあるところへ行った方がいいと言われて、救急で入ったところで、入院して、その日に。」
 友人は淡々と報告でもするように、語る。身中には悲しみが溢れているだろうに、職業病というか、表に現れない。木曜日に亡くなったのだそうで金曜日、土曜日休業したそうだが、処方箋は合間にお届けで処理したという。お寺でのお葬式はお身内とごく親しい人だけ参列したようだ。「こんなところに入院したくない」と言った言葉が、友人との最後の会話だったと友人は何度も繰り返す。いいと思って、回復すると思って入院させたと思う。「病院にしたら、年齢的にこういう経過は良くあることなんでしょうね。」と、少し悔しそうに友人は言っていた。
 世に、「寝込むこと無く、ぽっくり逝きたい。」と、よく言うが、正にその通りに逝ってしまわれた。しかし、残されたもののなかにはぽっかりと大きな穴が開いている。私は母を十年くらい寝込んだ状況で見送ったが、それでもふっと横に母が座って、何かしている錯覚がある。友人は、まだ慣れてない、亡くなった実感が湧かないと言うので、慰めにもならないが、その話をした。
 お母様のしていたことは、一部を妹さんが引き継いでくれたという。一人になった訳ではなさそうで、よかったと思う。今度からは、この友人の顔を見に、立ち寄ることにしよう。配達くらい手伝うよと約束して、店を出た。


走り梅雨ゴール百歳前にして
お元気と聞けば元気と水羊羹
青葉闇突然逝去知らさるる
入院をさせて悔ひあり不如帰
寂しさに負けさうな顔桜の実
粛々と葬儀は寺で山滴る
淡々といつもの仕事慈悲心鳥