”危機の詩” 曽根毅さんのレポートを読んで

”危機の詩”  曽根毅さんのレポートを読んで
              2017/2/17  十河智

曾根毅さんの、「俳句」2月号に掲載された “芝不器男俳句新人賞インドネシア視察交流会”レポート、”危機の詩”を読んだ。
曾根さんの句集「花修」も先に読ませていただいており、つい最近「詩論」の一節に対峙させる形で、スピカに投稿されていた俳句も欠かさず読ませていただいた。娘と同年代くらいの人だが、共感するところが多い俳人であると思う。スピカの記事に感想を書き込んだときに、この記事に自分が何故無季を選んだかを書いてあると、紹介して下さった。定期購読しているものの故あって時間が取れず、今になってしまった。
確かに、スピカの掲載句は、全て無季だと思って読んだし、小野十三郎の無機質な論調に、その17文字の重みがしっかりと釣り合っていて、引けを取らなかったので、ここは敢えてこの形を持ってきたのだと思っていた。以前「花修」を読んだとき、あまり無季の俳句という印象を持たなかったためでもあった。確か、曾根さんとコメントを交わしたとき、そんなニュアンスのお返事をしていると思う。私がそのように感じていたのはどうしてかの理由も、このレポートには書かれていた。
曾根さんは、”今という時代を書く”ということを、震災という危機的状況に直面したときの表現と重ね合わせて、”俳句の定型は、被災地において、誰もが心の裡に仕舞い込んでしまった悲痛の声を形にしてくれた。”といっている。インドネシア津波被害の女性詩人とお会いになり、危機的状況下では、まずはストレートに思いを表すこと、それが危機の詩として重量感の漂うものを生むということを、認識されたようだ。
そのような作句の状況下では、季語があるかなしかは意識の端へ追いやられても致し方なく、”季語なくしては詠めないという脆さに対して、無季俳句は最短詩の骨格に詩の内実を追求しようとする意志に向かわせる。”
そこに季語にあたる語が存在したとしても、それは生活の中にあるものとして、情況に引き付けて用いているとしている。季語にあたる語は、我々が使う日常の生活語として、曾根さんの句には自然な形で入り込んでいるのだ。俳句となってしまえば、同じ形を取るのだ。(こう言い切ると問題かも知れないが、)これが、私が「花修」の句を無季とは思わなかった訳だったのだ。
このレポートには、俳句の翻訳についても、その字面だけの訳の不十分さを訴えている。日本語の詩をその感受する思いに託し、訳す言語の詩として再構築しなければならないと。全く同じ気持ちで、私は、英語と向き合うことがある。英語で暮らしたことのない私には、不可能に近いのだが、詩の訳というのはこうあるべきと示してくれている。


 阪神大震災  抄
       十河智

醒まされて冬曙や震度四
重ね着や神戸遠しとリダイアル
冬ざれや電車を担ふ伊丹駅
ほろほろと完ペシャンコの町寒夜
神戸無惨睦月の月を眺めをり
火事跡に骨捜し当つ冬帽子
地震自然優しきものならず
冬果つるシャンプー日毎なりし子等
都市の冬救済者かつ避難民
焚き火する神戸の街の残骸で
橋隔つ大阪日常花キャベツ
「やっと抜けて生きてをれたの」ぼたん雪