私の生きたこの時代

私の生きたこの時代
          十河 智
          2016/10/23
  
 ボブ・ディランノーベル賞文学賞授賞を聞いたとき、驚きよりも先に、いいのだろうかと疑問に感じた。
皆評価してはいるが、ノーベル賞などとはほど遠い、近寄りがたいジャンルだと、世界中のほとんどの人が感じていたと思う。それも、文学賞、日本には、かなり前から名前が挙がっている村上春樹がいる。そういう人が取るものだったノーベル文学賞に突然ボブ・ディランである。信じがたかったが、現代の吟遊詩人、歌詞の文学性にノーベル賞に値する崇高さがあるとするノーベル賞選考委員会の説明に、また、世界中のほとんどの人が、なるほどと納得したに違いない。人はその歌をどうして歌うのか。ボブ・ディランの場合は、歌ってみたくなる言葉、つぶやきたくなるフレーズ、言われてみなくても、みんなわかっていた。人が人として、考えなくてはいけないこと、それが歌詞として音楽に乗せられ、聞こえたり、歌ったり、そうして、心に残り、問いかけていくのだ。手法はポップだが、心理に迫るものを提示している。そこを見抜いてノーベル賞選考委員会が、時代を象徴する高い文学性があると評価したのだ。ボブ・ディランに賞を受け取る意志があるかどうかは、思うにあまり重要でない。この受賞が発表されて、人々の多くが、これを受け入れ、納得し、喜んでいる。私よりも少し年上だが、彼も私と同じこの時代を生き、歌ってきたのだ。
 時代、子供の頃、近現代史は、明治から第二次世界大戦までを語ることが多かった。それは、ときどきの大戦争でほぼ五〇年くらいずつで区切られていた。私は、第二次世界大戦後すぐに生まれ、七〇歳になる。表面上は、大戦のない「平和」な時が過ぎ、気付けば、人の一生が終わるかも知れない時を迎えている。世界中のどこかで、絶え間なく内戦という戦争があり、領土の境界線を巡る紛争や、冷戦もあった。経済成長が頂点に達した後、リーマンショック後冷え込み、決して、みんなが幸せとは思っていない時代であるという。そこを、生きてきた私と同世代人、私たちの親が明治や大正、昭和の前半を懐かしみ語ったように、戦後(第二次世界大戦後)私の生きたこの時代に何があったか、懐かしみ、語り、論功行賞を行ってもいいのではないか、ボブ・ディランへのノーベル賞は、その第一弾としてふさわしいように思うのだ。
 およそこれほど、価値観の変化した時代はあっただろうか。コンピュータが生まれ、いまや、AIとして、あるときはロボット、あるときは、ビッグデータの処理、またあるときは、ゲームの対戦相手として、人の社会に取り込まれている。iPS細胞は、画期的だが、人のすべての器官が再生可能ということ、技術が、倫理的限度を超える危険性をはらんでいる。核が徐々に拡散し、原子力発電所の事故も三度経験した。私たちが受けた教育では、今の子供たちは追いつかない。私たちの時代が作った社会なのだが、これからどう進むのだろうか、そんな不安も痼りのように胸に抱えている。そんな脳裏にふと浮かぶとしたら、その歌は、決してビートルズではなく、ボブ・ディラン
 
 十三夜耳を疑ふボブ・ディラン
 肌寒し風に吹かれて立ちてをり
 人間になれただらうか星月夜...
 秋惜しむ私の生きたこの時代
 ノーベル賞しみじみと月眺めけり


追記
   ノーベル財団を、少し怒らせて、二週間後に、ボブ・ディランは受け入れを発表した。

 秋風や賞受け入れるボブ・ディラン 智

   まあ、悩んだんですかねえ、いい結果になりました。