ダンサーズクラブ

ダンサーズクラブ
     2016/09/01 記

 今年もお盆当たりに生まれ故郷の高松に帰ることを実家の弟の嫁に連絡した。嫁が自身の近況を話しだした。嫁には、百才近い父親がいる。嫁の家は両親がお誂えの洋装店を生業としていた。嫁も、結婚後も手伝い、もう、中心となっていたが、六十に近づいた頃から、後を任せるものもいないので、その店は止めたがっていた。ただ、店番と仮縫い程度でも、まだまだ元気なおじいちゃんが店に出るのを生き甲斐にしていて、その生き甲斐を取り上げるのに忍びず、言い出せずにいた。しかし、もう百才であり、今年初めに、閉店を決めた。
 その続きの話である。
 今年は、風営法が改正され、営業の形によっては、ダンスクラブも、飲食店の許可だけで開店できるように成り、規制が緩和されるという。嫁の弟は社交ダンスを趣味にしている。、彼がちょうど定年を迎え、洋装店も仕舞うので、家の会社を引き継ぐ形で、ダンサーズクラブという、ダンスを趣味にする人達が、気軽に集える場所を提供する形態の飲食業をやることにしたという。風営法の改正と同時に開業するという。店の主は弟になるが、自分も脇にダンスのドレスや小物のセレクトショップを開けるという。そこのホールに、わが家からもう十何年前に譲ったアップライトのピアノを置いて、ジャズの生演奏も聴ける店にするという。あのピアノが、と、娘が練習していたピアノが懐かしく思い出された。写真ではわからない、行って聴かなければと、ライブの予定を聞いて、電話を切った。

 今から四十年も前の話であるが、一家三人で、大きな買いものなので、何件も楽器店を廻り、慎重に音を聴き比べ、そのピアノを選んだのであった。メーカーはあまり聞かないところであったが、木の材質と色も気に入り、わが家の中心に二十年据え置かれていた。娘は十八才、高校卒業まで、先生に付き習っていたが、一通りの練習しかせず、進路も音楽ではないので、社会人になると時たましか弾かなくなった。嫁に行く間際に、主人が、その頃出てきた自動演奏のピアノがほしいと言い出した。主人は、クラシックが好きで、ピアノ曲のレコードもたくさん持っていた。ずっと開けない、弾かないピアノよりは、自動演奏で聞けるピアノが家にある値打ちがあると主張して、買い換えることになった。古いピアノは、弾けないけれど、私が気に入っていたので、まだ練習する女の子がいる弟の家に譲ったのだった。弟のところでも弾き手がいなくなり、ただ置かれているだけの調度品となっていた。調律だけはやっていたらしく、今度の話があったとき、役に立ついいピアノと、楽器屋も言い、演奏者も気に入ってくれたらしい。私達は知らなかったが、ワーグナーというブランドは、今はもう造られてないが、知る人ぞ知るものらしい。

 ダンサーズクラブは、広いホールと一休み用のソファー、六卓の食事のためのテーブル席、長いカウンター席、
思ったよりゆったりとしていい雰囲気である。少々古くさいミラーボールの照明で、ジャズやサルサ、ボサノバといった、ダンス音楽がいつも流れている。週に何回かライブの日があり、ピアノ、ギター、歌の演奏が聴ける。
 ライブの出演者は、東京で活躍していて、跡取りで地元に戻ったピアニストや、若い頃歌っていて、子育て中断、最近活動再開した女性のジャズ歌手、ギタリストもかなりの技量を見せていた。ふっと入ってきて、ここの演奏を聴けば、得したと思うに違いない、そういうレベルであった。  
 お酒も出すが、飲まない私達も楽しめる、健康的な雰囲気が、なかなかいいと思った。行ったときは、開店直ぐで、お披露目として、招待の客が多かった。うまくいってくれるよう願っている。

 浴衣の子出掛けにちょっと弾き出だす
 黄バイエル親が復習ふや日盛りに
 嫁に行き弾かずのピアノ時雨るる日
 
 帰省してつい物置と化すピアノ

 甦るピアノ汗する調律師
 プロの手の叩き出す音夏の夕
 夏の燈や流転のピアノここにあり
 星涼しピアノに惚れしピアニスト
 寺を継ぐジャズピアニスト盆の頃
 ダンサーの昼間の仕事桃運び
 長き夜や歌ふ幸せ語る歌手
 

 爽やかに長き余生をダンス・ジャズ
 八月や聴かせるジャズの店にをり