剪滅

剪滅
 2016年夏
 
 (調べてみると、本来の熊蜂もあるらしいが、ここでいう熊蜂は、私達が普通クマンバチと言っているスズメバチの類のクロスズメバチのことである。)   

 孫達がやってきた。駐車場に車を着けて、まず孫達が降りる。「おじいちゃん、おばあちゃん、来たよ」
その次の言葉は意外なものだった。「蜂の巣がある。大きい蜂の巣。」指さす方向を見るが、見えない。テラスの庇にぶら下がる蜂の巣は、あまり外に出なくなったじじやばばに発見されずに、いつの間にかサッカーボールほどに大きくなっていたのだ。子供の背の低さから、それはいとも簡単に見つけられた。車を車庫に入れて降りてきた子供の親は、びっくりしたらしく、「近寄ったらあかんよ。熊蜂や。恐ろしい蜂やで。」それから、帰省の挨拶も無く、「業者に頼んで除けて貰わんと。熊蜂は狙ってくるらしいから。」そう言って、子供達を早々に家に連れ込んだ。
 娘の一家は、一週間ほどいる予定であった。マンション暮らしをしているので、野球をやり始めた上の孫は、おじいちゃんちの庭の芝生で、素振りができるとバットを持ってきていた。庭の方にさえ行かなければ、家の出入りで蜂に刺される危険は無いのだが、せっかくバットを持ってきたのに素振りがができない、蜂の巣をなんとかしてほしいと訴える。「おばあちゃん、蜂の巣を取る人に頼んでよ。」前の道路から車に行くたびに、直ぐにでもできることのように訴える。
 神社の杜が背後にあり、池があり、住宅街の端っこのわが家は、ありとあらゆる虫がいる。春、夏の蝶蝶、蟻、ナメクジ、蚯蚓ヤスデゲジゲジの類、そして、ムカデに蜂、蝉の穴が地面にぼつぼつと開き、夏から秋へと、種類が日ごと変わりつつ、鳴き尽くす。空蝉が、庭石やブロック塀にくっついてしばらく離れない。秋の蜻蛉、いわゆる虫の声を聞かせる蟋蟀や鈴虫、バッタやキリギリス、カマキリ、冬から春にかけては蓑虫が樫の木にぶら下がる。季節と共に、虫も、現れては隠れ、生まれては死んでいく。
 蜂の巣も活動が鈍くなるのを待って、なんとかする筈であった。今までも、アシナガバチスズメバチ、土蜂、いろいろな蜂の巣を、空になってからとか、冬に落として始末してきた。孫が来ていなければ、そう焦ることはない。攻撃しなければ、共生できる環境ではあるのだ。
 しかし、子供が刺されて大ごとになったらと、ばばとしては、不安が募ってきた。どう始末したものかと、子供達を映画や図書館に連れ回している間も、考えている。二日目の夜、遂に蜂の巣落としを決行することにした。夫と娘一家が寝静まった真夜中、蜂も夕方は活発に巣へ出入りするが、真夜中は巣で落ち着くようなのだ、その真夜中に、昼のうちに巣の入り口を確認しておき、踏み台も準備しておき、蟻、蜂用のスプレー式の殺虫剤を巣の入り口目掛けて至近距離から注入する。防虫に洗濯ネットをかぶろうかと思ったが、夜中の暗闇で、動作が鈍くなるのでやめることにした。高枝切りばさみを用意して、蜂をやっつけた後で巣を落とす。このように計画をし、手順を整えて、その日の夜中に実行した。
 熊蜂は、手強かった。巣に何度か薬を注入すると、働き蜂が、攻撃態勢で次々と出てきた。それに負けじと、更にスプレーしていると、明らかに纏わり付くように狙って刺しに来る、自分の身を守るために、近づく蜂を一つ一つ倒していかなければならなくなった。大方1本の殺虫スプレーを使い切り、巣の周りには蜂がいなくなり、遠巻きに散らばったところを高枝切りばさみで根元から巣を切り、こそげ落とした。地面に落ちた巣はへしゃげ、中でもかなりの蜂が死んでいた。念のために、粉末の殺虫剤をこれでもかというぐらい巣に振りかけた。10分くらいのことだったが、エネルギーを使い果たした。全て終わったと思って、玄関に入ると、なにか耳元で唸る。刺されると思った。首を竦めて避けるが、離れない。しつこい。どうにかしないとと思って見渡すと、傘立てに、孫の捕虫網があった。とっさに掴んで、跳ね返り、網を一振りした。黒くて大きい蜂が一匹網に掛かっていた。そっと玄関から網を差し出し、蜂を放した。ほんとに全て終わった。過剰防衛だったかも知れない。
 翌朝、夜中の戦場の後始末をしたが、数十匹の蜂が死んでいた。子供達には見せたくなかった。
 「蜂は、退治したよ。素振りしていいよ。」とだけ言ってやった。

 その翌日の夜は、布団にムカデが出る騒動があった。廊下に追い出し、また殺虫剤の噴射。孫が寝ているので、影響の無いところまで持ってきてということがあり、油断して刺されてしまった。直後にアンモニア水を塗り、腫れることはなかったが、二日続きの殺虫剤まみれで、気分が悪くなった。うちでは、虫退治は何故か私の役目である。

 勝ちたれど死闘なりけり熊蜂と
 針向ける蜂に武器なる霧の矢を
 凄まじき蜂の羽音や巣を護る
 寝入る真夜蜂の巣こそげ落としけり
 逃れても付き纏はれて蜂ひとつ
 耳元に唸る蜂あり網咄嗟
 白むれば蜂の骸の累々と
 剪滅の熊蜂命ありにけり