尾崎豊

尾崎 豊
     2016/07/19
     十河 智

 スマホの画面に“尾崎裕哉”、覚えのある名前が芸能ニュースの見出しで出た。どうも全くチェックしていなかった音楽の日の生特番で歌ったようだ。彼の歌は、大学を出た直後にも、一度でた番組で歌うのを聞いた。尾崎豊の生き写しであった。音楽の日特番での感想も一様に、歌い方、感情表現、どれをとっても、尾崎豊を思い出させるものだったと書かれている。聞き逃したことが悔やまれる。
 尾崎豊が騒がれている頃、世代が違うので、その真ん中にはいなかった。今数えると、尾崎豊のCDが、六,七枚あるし、関連本、本人の詩集や、周辺の人物が著したもの、評論まで、十冊くらいあるだろう。大麻だったか、覚醒剤だったか、薬物で大騒ぎの後で、関心が湧いたのだ。フアンというより、尾崎豊がどうして生まれたか、社会現象、その訴えに対する興味がより彼を知りたいという動機であった。歌う彼のメッセージには、耳を傾けることができたし、詩として、詩集を読めば、胸に響いた。しかし、彼がなにかを訴えているイメージばかりが強く、歌手として、アイドルとしてある彼をあまり知らない。少し距離を置いた、社会の彼を見る見方で、終始私も彼を見ていた。訴えるだけで、解決に向かえない弱さを彼に見ていた。勿論芸能人の本当の生活など知るところにはいないが、薬局で薬剤師として働いていると、時代時代で様々な薬物に溺れる若い人達を目の当たりにする。学校薬剤師としては学校に薬物の中毒症状を教える掲示物を配布したり、養護教諭や、生徒会保健委員の薬物汚染回避の活動を助けたり、私も一方の、ある意味、当事者であった。あの頃は、シンナー中毒がまだ多かった。彼のような有名人が及ぼす影響を事態が動く度に、一般人、社会人として、心配したのだった。何を訴えているのか、そこが知りたいためにCDを買い増していった。結局、判らずじまいとなった。あのように亡くなってしまったのだから。いつか本人の歌に解が見えるかもと、少しは希望を持っていたのだが、途切れてしまった。
 尾崎豊の死後、大騒ぎが起こり、家族は、アメリカに住むと聞いた。二十年も経って、たまたま見た歌番組で、成長した息子が歌っていた。ラジオだったかもと今思っている。歌声だけを思い出している。声に愁いが無く明るい印象があったが、それ以外は、豊かと思った。 ” I love you ” を歌った。
 親が子を、孫を見るように、今は、尾崎豊を懐かしく思う。尾崎裕哉が逞しくこれからの人生を生き抜いてほしいと願う。また、歌っている声を聞きたいなと、ミーハー的私が囁いてもいる。

 けふサルビアは紫歌ふ尾崎
 己がじし十五の春は悩むもの
 青嵐憤慨の歌愛の歌