我が町、寝屋川

 高槻で、少女が遺体で見つかった、と聞いたときには、近いなとは思ったが、こんな身近でショッキングな大事件という感覚は無かった。日ごとの報道で、概要がわかって、記者達の発するなじみのある学校名、商店街、国道170号に沿った遺棄現場、これは、我が町、我が身に起こった大事件であると、ぐっと私の胸に重くのしかかってきた。おそらく寝屋川に住むほとんどの大人達が、何故こうなってしまったのかと、大人の責任を考え、自責の念に駆られていることだろう。どんな事情があって、外で夜を過ごしていたのか、大人になっていない子供の冒険心なのか、あまりはっきりとした事情は知らないし、知る必要も無い。商店街で、もし自分がそんな子供達に行き会ったとき、どうしただろうか、いつもの生活圏の中で起こった出来事に、考え込まざるを得ないのである。あまりにも幼そうな子供でも、二人いて、よその子に、こんな事件になるという想像が働いただろうか。
 我が町、寝屋川は、平穏な街である。商店街は、シャッター化の一歩手前とは言え、まだまだ、人の行き来は多いし、駅前もかなりきれいに整備されている。しかし、私自身も結婚以来の住人であるので村時代からの住民たちとのあいだに、五十年経った今でも、一体感が生まれてこない。確かに、子育てもして、五十年近くを過ごした街であるのに、我が町と言えるのだろうか、と言う疑念がある。そんな隙間に、この街では、時々大事件が起きるような気がする。
 このことについては、ずっと悩み続けることだろう。あどけない二人の中学一年生の防犯カメラに写る姿が、頭から離れない。商店街で買いものをする度、駅のエスカレーターを登るとき、高槻の娘婿の実家に娘夫婦が枚方大橋を渡っていくとき、二上山の麓の道の駅に、ドライブがてら、お茶しに行く老人夫婦の楽しみも、柏原の二十五号線の分岐点では、きっと、この事件を思い出すことだろう。一七〇号線は、私にとっても、生活道路であるのだから。
 もうこんなことが起きないために、どうすべきかなどは、具体的に今は思いつかない。まだ、学校薬剤師として学校と関わりのある仕事を多少しているのであるが、今度学校に行って、同じ年頃の子供に接するとき、親身になるというのが、どういうことなのか、今からじっくり考えてみなければならない。我が町、寝屋川の子供達を守ってやらなければいけないと、心の底から思っている。


   無垢無邪気無防備非力秋暑し
   夏休み街をさ迷ふ子が二人
   長き夜や我が家の続き商店街
   日々暮らす一七〇号線沿ひ甘藷畑
   台風の余波の駅前重苦し
   秋の田や我が寝屋川の子供達