津軽三味線


  津軽三味線     
      十河 智

コンサート苦労なきかにショール解く
じょんがらやバーチャルリアルの冬空へ
犬皮の津軽三味線冬の百舌
白足袋の兄弟若し辛さうに
太棹に恨み響かず寒暮かな
セッションといふは易けれ大枯野
雪などは降らじアフリカ太鼓なる
胡弓の音凍みる大地や遙かなり
入り乱れ津軽三味の音雪しまき
冬の濤無音浄土へ誘ふ三味


 とある日曜日、門真ルミエールホールで、若き津軽三味線奏者吉田兄弟の演奏を聴いた。地域生協の催で、大概の観客は、名手高橋竹山の、津軽の風土そのまま力強く荒れ乱れる三味線の音を、若者が再現することへの期待感を持っていたと思う中年老年の女性である。舞台と客席の間には初めから少々のミスマッチがあった。 ご近所の奥様同志五人、今はこの観劇の会でしか会うことがないが、新興の住宅街の一角で、同学年の女の子を介して、ほぼ毎日顔を合わせていた人たち。いつの間にか二十五年、何事もなく通り過ぎ、今こうして横一列に座っている。それぞれに癒されたくて、津軽三味線を聴きに来ている。若者達は、伝統の中の自分らし   
さを模索していた。頑張って舞台を組んでいたが、癒しには及ばず、観客の拍手は乾いていた。 

(あれから15年) 2015年7月記す
 同じ観劇の会で、同じ会場で、成長した吉田兄弟を聴いた。しかし季節は春、聴く方の私たちが、枯れ果てて、より癒やされたい気分になっている。この俳句と文章を書いたことすら忘れていたが、私たちもまだ活力に溢れていたのだと再確認した。吉田兄弟はそれぞれの個性に合った舞台構成を心がけ、チームを牽引し、私たちは充分に心揺さぶられ、感動した。和楽器の音楽には、もはやこうした機会、彼らに会わなければ、聴くことがなくなってきている。世界の吉田兄弟であるよりも、我らの、日本の吉田兄弟であれと願っている。