老化、そしてこの認知症への道かも?

老化、そして認知症への道かも?
       2018/12/27
       十河智

 ああ、これが老化か、そう思って落ち込むこともある。ものを忘れる。判断と行動が鈍くて、自分の思うことがなかなかスムーズに進まない。そして諦め調子に、マイペース、マイペースと、呪文をかけて言い聞かす。これはそんなある日のことである。

 受けていたしていた研修会が、終わった。朝早く京都まで出てきて、薬草園を小一時間も歩き、かなり疲れていた。が、京都に来たら、できるだけやりたいことを詰め込む癖があって、この日も、兼ねてから、私の読んだ「熊野概論」を読ませてほしいという友人のために、持参していた。友人の予定を聞くために、研修会場を出たところの生け垣で、電話した。日曜日はいる筈だと思ったら、御主人が出て、今、名古屋へ立ったところだという。まあ忙しくしている人に、前もって連絡もせずに会おうとしたら、こういうことも想定内。諦めて帰ることにした。
 さてと、いつもこの場所に来て、帰るとき思うこと、バス停にも電車の駅にも少し遠い。タクシーも通らない。大通りまで、歩くしかない。近衛通、東大路と川端通のちょうど中間点、川端通に向かって歩き始めた。いい天気だったし、可能なら出町柳まで河川敷を散歩がてら歩いてもいいなと思いつつ。
 鴨川が見えてきた。と、そこで、持ち物が一つ足りないことに気がついた。本の入った手提げバックをどこかに忘れてきていた。何処だろう?頭の中が、クルクル、パチパチ。閃いたところは、研修会場。今歩いてきた道をそっくり引き返す。スタッフの方が残っていて付き添ってくれたが、無い。一瞬、思考が止まり、スタッフの方にも、恥ずかしい気持ちで、対応できないくらい。まだ片付けにも入っていないので、持ち出してはいない筈だと言う。
 すごすごと会場を離れつつ、またしても、頭の中が、クルクル。今度は場面をスローに思い返してみる。友人に電話を掛けたとき鞄を手から放した。その場所に急いだ。
 女の人が電話中で、その人の視線の先に、私の鞄があった。声が聞こえてきた。「近くの交番へいけばいいですか?」
 「ごめんなさい。これ私の鞄です。」割って入った。「あっ。今所有者の方が戻ってこられました。大丈夫です。」電話を切って、「よかった。交番ってどこにあるかなって、思ってました。」
 大事な本を持ち歩いている。危機一髪で、戻ってきた。そういう変な安堵感で、疲れを感じた。
 それでも川端通までは歩かないと。
 かなり足を引きずりながら、やっと自動車の往来がひっきりなしの川端通に辿り着いた。河川敷の元気に小春日和の午後を楽しんでいる人たちが見えてきた。「あの広いベンチまで行って少し休もう。」
 大きな広い石の露台がベンチや丸い腰掛けと雑ざって、あちこちに設置されている。ああ、横になりたい、という気持ちが募っていた。昔は野原で、草の上に寝転がったりもしたものだ。そういうことを今はしなくなり、見なくなったが、降りていって、露台に上体を伸ばして、足をぶらぶらさせた。
 仰向けになって、露台を覆う大きな木の葉陰から秋の青空を眺めて、気持ち良かった。誰も気にすることなく、通りすぎて行く。
 そのうちに、露台の半分に、四人連れの同じ年頃の一団が座り、話が漏れ聞こえる。見舞いに来た人たちと外に出てきた近くの病院の患者らしい。
 ランナーを見て、奥さんが有望な陸上選手だったことや、自分の人生・子育てなど語りだした。男の人のしんみりと語る話は、味わいがあった。もう一人、聞き手がいることに気づいていたのだろうか。
 夕方にかかる頃、彼らは帰っていき、私も立ち上がった。また歩く元気が出てきていた。
 また近衛から今出川まで歩いた。加茂大橋で、今出川通りに上がる頃はもう完全に暮れていた。目的の出町柳駅の灯が煌々としていた。今から電車に乗ると、家に連絡した。
 橋の袂で、自分の体力、脚力に、いいようもなく、幻滅していた。一歩が踏み出せない。家に帰りつかねばと、重く引き摺る様な一歩また一歩。
 大袈裟に、と思われるかも知れない。世に言う認知症の外見をこういうものではなかろうかと、また行き倒れって、ここからかもとか、急に、そして一瞬、頭を過った。
 今日は家まで帰り着いた。そしてまた、忘れた頃に、同じように、私は街をさ迷うのだろう。耳や眼の捉えるものの魅力に誘われて。
 
もの失くし見当外れや秋の暮
柊の花の垣間に見つけけり
行く秋や本を大事に持ち歩く
ランナーの妻の経歴鵙猛る
飛び石に親子を眺む秋麗
照紅葉ランナー何人走り行く
釣瓶落し駅へとぼとぼ歩くうち
秋の蛇帰り着かねばとの焦り
冬隣認知症とふこと過り
木守り柿からうじて行き倒れずに  十河智