片付け初め、そして老いてゆく住宅街

片付け初め、そして老いてゆく住宅街
       2018/11/09
       十河智


 少しずつ片付けなければと、感じ始めている。
70歳を過ぎた。夫は二歳年上、まだまだという気持ちともうやらないとできなくなるという気持ちの相克。
 書棚の本。娘の代では着なくなった着物の類。薬局をやっていたときの、道具・機器類。CD、レコード。
 本。寝屋川市の図書館に聞いたところ、本の寄贈は断っていると言われた。先の地震で、中央図書館が機能せず、建物自体を閉鎖してしまったので、他の二図書館が、満杯のようだ。科学の読み物や薬の一般向けの書物、最近の話題の本などは、寝屋川市の図書館にと思っていたのに当てが外れた。
 大学の「本で寄付」というのがあった。構内にポストがあって、そこに入れておくと回収してくれるようだ。様子見と事始めに、このところ京都通いが続いているが、本をもって出掛けてみた。バーコードのついている本限定とのこと。
 序に、使わず置いたままの生薬の電気煎じ器を友人の漢方薬局に連絡すると、貰ってくれることになり、それも持って。
 主人を出町の喫茶MAKI で待たせ、煎じ器の箱を抱えて、少し前、宵闇に紛れて渡った橋二つを渡り、出町柳駅前の友人の店へそれを置き、MAKI へ戻る。
 コーヒーを飲んで、せっかく来たからと、「道向かいのふたばで豆もちを買ってくるわ。」とまた待たせて買いに行った。
 ふたばは行列ができていたが、つぎつぎと新しい出来立ての箱が運ばれて来る。案外早く順番が来た。今日中に食べてと言う。翌日のお好み焼きパーティで、焼けるまでのつなぎと思っているので、勝手に自己判断。たかが半日、日付が変わることに何の問題があるのだろうか?今の日本社会には、時に、このような融通の効かなさが横行している。これが、棄てるものを多くしているように思う。八個買って、MAKI へ戻った。
 MAKI を出て、近衛通の薬学部に立ち寄り、持って来た本を、2ヶ所あったポストに分けて投入した。段ボールの直ぐに運び出せるような箱形のものであった。地図によると全学に散らばって置かれているようだから、これが一番手軽に思われた。一冊ずつでも持ってこよう。

図書館の地震に崩れし白露かな
秋の灯や本の寄贈は叶はざり
大学は本で募金す秋の蛇
通勤のごとく京都へ菊日和
喫茶MAKI ふたばまめもち小鳥来る
鵙の声箱を抱へて橋二つ
秋の川烏の案外大き羽根



 翌日は、広島焼きパーティ、お店で出せる位の焼き手が、頃合いで召集をかける。子供を通じてのご近所付き合いが始まりだが、長い間には人生のいろいろがあり、市内で散らばり、普段は会うことも話もしない、できない、人たちが6人集まる。
 前回から、知らない間に一年近く経っていた。しもたやとなっている、うちの昔の店舗の2階、ワンルームが会場となる。
 11時開場、その前に、道具と材料を車で私が運ぶ。他の人たちは、年をとり、電動自転車か歩きで来るようになった。かれこれ四半世紀、店をする前には、回り持ちで、各家に集まり、やっていた。今は、食べる量も飲む量も減ったが、あい変わらずの持ち寄りで、切り分けたリンゴ、ミカン、酎ハイ、ジュース、お菓子が出てきた。昨日夕方買ったふたば豆餅を出した。
 そんな後の広島焼きは、いくらキャベツメインといってもせいぜい二枚が限度。コーヒーを飲みながら、まだまだ喋る。ただただ喋る。ご近所のことなので、お互いの幸せ度、不幸せ度を、大体の状況は、風の便りに把握している。問わず語りに、病院通いの話、編み物や、俳句、旅、こども(孫)とのつきあい方。まず、日頃の平穏無事を語り合う。
 だんだんに、会わなかった一年の間の変化が話題になる。まず、抱えていた病気など、それぞれの元気具合。皆、無事に何とか生きている。
 パーキンソンの人は、薬で調節できるので、自転車に乗れるまで回復。気をつけて、としか言えない。二人暮らしでは、主婦の買い物は必須なのだから。
 膝の手術をした人も、自転車だと楽という、まだ仕事は、会社が人手不足で、辞めないでくれと、65を過ぎてもいうので、辞めていないとも。まさに最近の会社事情。皆が一斉に、「自分が大事やで、会社は、どうにかしてやって行くわ。」と、会社への忠誠心をほどほどにと律儀な人に忠告する。
 そんなことから、話題は家族のことに移る。不安な自身の老後のことが、重なる話題。子供三人、三代の大家族立った家が、長男がこどもが生まれて、独立し、とうとう夫婦二人暮らしになったという人。娘が妊娠するが子宮に定着しないという流産を何回か繰り返し、可哀想という人。娘二人が、しっかり働いてくれるのはいいが、結婚しないと、娘であるがゆえの将来が心配という人。かなりの年令になると、結婚や恋愛の話は親でもしにくくなってきたという。子供ができない若い人たちの多いこと、彼等は充分楽しんでいるが、私たち親世代から見ると、何とかならないものかと、これもここでしか口にできない悩み事である。
 見渡せば、6人が6人、夫婦二人暮らしになっているのだ。
 私は、いつ引っ越すことになるかわからない、いつのまにか、浮草のような気持ちで暮らしている自分を語る。到底、庭と家を維持管理していく体力は続くとは思えない。
 五十年前には、若くて溌剌としていたこの住宅街では、今は、高齢者が多く、孤独死もあった。旦那様が百歳近いご夫婦が、息子さんのところへ引っ越していくと最近、挨拶にこられた。二軒とも、今のところ空き家のままである。地震と台風が続き、修理もままならない家が増えている。日頃の暮らしには、老いの不安と二人暮らしの孤立感が大きい、この住宅街。
 呼び掛けてくれ、集まってくれ、場所を提供できる限り、何時とはわからないが、不連続なこのお好み焼きパーティーは続くだろう。
 たった半日の愚痴のこぼし合い、食器洗いや後片付け、費用の割り勘もやってくれて、少し顔の表情を和らげて、皆が帰っていった。一人になって、いつもは使わない、食器乾燥機を稼働させ、またいつかの出番まで、食器類を棚に納めて、大きなごみ袋を引っ提げて、私も、自宅へ戻った。
 みんなが冗談に主人の名前をつけたに特別製バージョンの肉たっぷりの広島焼きを持って帰った。
 
六人の浅き関係青みかん
ただ食べてただ喋る馬肥ゆる秋
台風禍瓦屋大工まだ来ぬと
辞めさせてくれぬ仕事にする秋思
子を授からぬ嫁さぬ云々リンゴふじ
秋の蝉いつかわからぬまた今度