ちょっと京都へ

ちょっと京都へ
      2018/10/14
      十河智

 幼い時から、ふらっと、歩き回る子だった。
 自転車に乗れるようになると、半径を大きく広げてさ迷った。
 学校が終わって、夕方ごろまで。
 歩くときは石ころを蹴りつつ、空を見たり、町の映画看板をみたり。
 自転車の時は、新天地を開くことにときめいた。
 帰り道を間違わないように、周囲の高いものを見ているので、足元で、よく掬われた。膝小僧は、怪我ばかり。溝に落ちることもあった。
 秋は特に台風のあとがよかった。
 夕焼けは港まで見に行った。
 時には遠くに行きたくなって、突然10キロ以上遠い、おばあさんの家に行ったりした。
 さすがに大人になって、そのくせは影を潜めていたが、予定をたてて行動したくない、行きたい気分にまかせたいというきらいがある。
 この間、とうとうやってしまった。
 最近は、白内障や筋力の衰えから夜出歩くのは、控え勝ちであるのだが、眼は手術で回復し、筋力も改心して、逆に極力歩くように工夫している。
 その日、主人は自分の元同僚との四人会で、晩ご飯入らないという。もう四時だというのに、主人が出掛けてから、突然さ迷いたくなったのだ。
 バスに乗っていた。京都へ、各停へと、乗りなれているコースで、本を読み、景色をぼぉーっと眺めながら、もう暮れかかる、出町柳の駅に着いていた。
 よく立つ駅の出入り口も新鮮な感じであった。まずこの時間に着くということはなかった。いつも帰りを急いでいる。出町や百万遍から、駅に走り込むばかり。昼の往来しか見ていないかもしれないなあと思う。
 駅のポスターのおけいはんが出迎えてくれた。
「ちょっと京都へ旅」とかなんとか、今の気分にぴったりのコピーが付いていた。
 駅のハンバーガーショップは、ゆったりしていて、仕事なのかパソコンをやるおじさんたち、狭いテーブルに教科書を広げて試験勉強する高校生たち。
 期間限定で神戸牛ハンバーガーというのがあった。主人はご馳走なんだからと、贅沢して、これをセットで買った。こんなハンバーガーは食べたことがない。すごく美味しかった。
 もうすっかり暮れていた。せっかくなので橋を渡り、糺の森まで歩いた。少し前まで雨だったようだ。道が濡れていた。駅のみ煌々としていて、駅前の店はとうに閉まっている。
 橋の上から、南を見た。遠く祇園辺りの繁華街の灯りらしく、川の真上に揺らぐ。河川敷にも外灯が疎らに並ぶ。北を見る。真っ暗闇。照らすものがないので、影すらも見えない。糺の森には、辛うじて森の姿を浮き上がらせる明かるさがあった。「糺の森」と書かれた看板を写していて、今立っている橋の標柱を見た。この橋の名前、河合橋を再確認した。出町四橋の中で、一番思い出せない名前なのだ。
 河合橋の欄干に凭れて森を見ていると、車の流れが音になり、川の流れの音も重なり、橋の下辺りから、ホルンの音が聞こえてくる。どこからとも知れず、細くはあるが、朗朗と虫の声もまた重ねて聞こえ、闇も案外賑やかである。
 糺の森の踏めば少し水が浮き上がるようなふわふわ感は、楽しかった。足元から見上げる木々は、頼もしく思えた。濡れたベンチには座れず、早々に駅へと引き返した。
 帰りも各駅停車に乗った。ほぼ寝てしまうのだが、中書島、樟葉、枚方では目が覚めた。人の気配でうまく反応しているのだろう。枚方からは、乗り過ごさないように、眠らないように、寝屋川まで。
 たった四時間ほどの、彷徨、旅に満足していた。何れ、徘徊へ変化するのだろうか。これが。                
秋だからちよつと京都へ行きませう
秋思ふ神戸牛バーガーとふ贅沢
秋の宵教科書開くバーガー店
冷ややかや出町四橋を渡りけり
河合橋暮れ行くほどに秋の声
北は闇南は仄か秋ともし
夜の帳ホルン川音虫の声
泥濘んで糺の森の秋湿り
露寒し森にベンチとマンションと
彷徨す雨後霧深き神域に
秋の灯の各駅ごとの夜景かな  十河智