「田中裕明の思い出」、四ッ谷龍著、ふらんす堂、この本を読みました。

「田中裕明の思い出」、四ッ谷龍著、ふらんす堂、この本を読みました。
       2018/09/23
       十河智

「田中裕明の思い出 」
      四ッ谷龍著、ふらんす堂
この本を読みました。

その一

 こうして一冊の本に纏められているが、「夜の形式」とあと数編を除いて、初出の時に読んでいる。
 こうして一人の方によって、思い出が順に綴られていくのを読んでいくと、自分の裕明さんとのそれほど濃いものではないけれど、忘れられない同時期の思い出と重なり、私の裕明さん像がよりいっそう、鮮明になり、深く心に刻まれる。
 ことに、裕明さんの句集と、俳句についての考察や鑑賞は、何度読んでも、奥が深く、それは近いご友人である、龍さんだからこその感想であるのは確かだが、裕明さんの教養の深さ広さ、そこを読む方の私が、読むたびに、気づかせてもらっているのかもしれない。
 この本を読むことで、著者の四ッ谷龍さんよりも、田中裕明さんが、そこにいて、教えてくれているようである。思い出話に、お二人のいる場面でも、私には、裕明さんがクローズアップされる。あまり知り得ず、さっと消えてしまわれた裕明さんが、龍さんの思い出を通して、埋め合わせをしてくれているようだ。
 龍さんの評論や考察、特に、評論は、今、充分に教わることができなかった私に、裕明さんが補講してくれているような感覚である。
 裕明さんは大きすぎる。底知れず遥かに続く言葉の海、鑑賞者の私の方に素養が足りず、もう一つ踏み込めない句も多い。裕明さんの句の基底にある教養や、思慮の深さを、交流のあった方々が、エピソードとともに、折に触れて語ってくださる。龍さんは、あまり語らず穏やかな微笑みで傍らにいる裕明さんを思い出し、万年筆のブルーブラックの温かい筆跡についても書かれている。それは、私自身の裕明さんの思い出でもある。決して孤高の人ではなかった、裕明さんが、嬉しい。こうしてまた出会うことができる。

その二

 読後感想としては、的が外れることを承知で、私の、田中裕明さんの思い出を書きたくなった。
 その頃、大病をしたり、その後薬局開設を準備するなど、転機にあった私は、俳句を投稿をする場所を無くしていた。
 「俳句研究」で、偶然に、ある大学の先輩の俳句が掲載されていた。彼に俳句を続けるいいところを紹介してください、とお願いした。ちょうど「ゆう」が創刊したところだと、薦めてくださった。見本誌を送ってもらい、なんとも言えぬ和やかさを覚え、すぐに入会した。
 投稿の事前に裕明さんの指導を受けられるシステムもあった。あのブルーブラックの優しい文字で丁寧に毎月返事がきた。たぶん下手さに呆れながら、付き合ってくれていただろう。詩情ということを、どういえばわかるだろうかと、情けない弟子と思ったことだろう。それでも丁寧に選句してもらい、推敲の手助けを書いてもらった。それがたまに途切れることがあった。今から思うと、病気と関連付けることができるが、心なく催促したりもした。重篤な病のなかで、大変だったに違いない。痛いものが今も残る。
 「ゆう」の突然の終刊の後、私はまた行き場を失った。だがその頃の業務の必要性から、インターネットの環境に馴れてきていて、今も続けて投句している俳句スクエアを知った。同時に「ゆう」の流れを汲む句会に参加し、日常に添う出来事を、短文とともにブログに挙げ、友人たちとの旅を俳句に残し、俳句を私なりに楽しんできた。未だに詩情からほど遠い、記録のような、業務連絡のような、裕明さんには叱られそうな句であるが、俳句を続けている。
 この本のなかに、興味深く読んだテーマがいくつかあった。順に私の思いを述べていこう。

1 俳句の国際化

 四ッ谷龍さんは、ご自分の活動として、俳句を他の言語に翻訳して、外国のかたに紹介していらっしゃるという。これまでに、裕明さんの御句も、何度か翻訳されたと述べられ、裕明さんの句に込められた情趣を伝達することの難しさを語っておられる。どうしても、言葉を重ね、口説さを否めないものになってしまう、そういう趣旨のことが悩みとして書かれていた。裕明さんがもしご自身の句を他の言語に翻訳したり、他の言語で俳句とかそれに近い形式で、作り直すとしたら、どういうものになっただろうか。なんだかすごく残念な気持ちになる。一緒にそんなこともしてみたかった。
 というのは、俳句を作るほど継続的ではないが、私は、かなり昔から、自分の俳句を英語で表す試みをたまにやっていて、同じ中身の俳句を作ることはできないという実感を持っていた。シラブルで合わせてみたり、三行に拘ってみたり、色々やってみたが、意味がくっきりと濃く出て、言い過ぎの感があった。
 ところが、インターネットの投句グループ、俳句大学で、国際俳句の発展を目指し、「季語あり、二行」の型を提唱した。季語を提示して、これを入れて二行というルール。夏から始まったばかりである。今は、この型に集中して、季語が一巡する一年を目処に、どちらが先ということなく、英日並べて作ってみている。言語の特性から、趣は多少ずれるが、切れがあり、広がりが生まれる、他言語でもこれなら、俳句の型に叶っていると思う。

2 「夜の形式」に思うこと

 この本の第二章は、裕明さんが発表した「夜の形式」という文章をもとに龍さんが現代俳句協会青年部で2010年に行った講演を再録している。
 この章を読み進むとき、俳句とは全く関係なく、私の脳裏に、つい先頃鑑賞した東山魁夷の展覧会での魁夷の絵に現れるある変化が、浮かび上がって離れなかった。
 展覧会の部屋を時代ごとに進んでいった。どの絵もしっかりと構図が組まれ、フレームの中に納まっている。ただ動かない。滝、川、雪、雲、水面、動くものも動かない。遠近は感じられるのだが、奥へも左右へも流れは見せない。よくピントのあった写真、俳句でいえば、写生句であろうか。
 それらを見た後で、唐招提寺御影堂障壁画の展示の前に立ったとき、立ち尽くす。動いている、と思ったのだ。風を感じたのだ。波が打ち寄せ、山雲は立ち上る。木々が風に靡く。離れがたい余韻があった。感動があった。
 前の動かない風景画を当てはめるとすれば「昼の形式」、障壁画の方は「夜の形式」としてみることができるではないか、そういうふうに、この夜の形式論を理解していいのではないか、この本のこの章を読む間じゅう、この魁夷の絵の幽かな動きがずぅっと脳の片隅にあって、これだこれだと押してきていた。

3 田中裕明の俳句

 この本の中で、龍さんが挙げられた裕明さんの句が、懐かしい。私の鑑賞を添えて、ここは終わりにしたい。

みづうみのみなとのなつのみじかけれ 裕明
 韻を踏み、口調の滑らかな、大好きな一句。琵琶湖畔には、夏に出向くことが多いが、必ず思い出す句である。

爽やかに俳句の神に愛されて 裕明
 はじめて読んだとき、こう言いきって、反発を招かない裕明さんを、本当に俳句の神に愛されているすごい人だと納得したものだった。実は病を知っての逆説的意味合いがあったのだが、句はとても潔く爽やかである。
 
大学も葵祭のきのふけふ 裕明
 葵祭、5月15日というに等しい、この季語が京都大学のその時期の様子をよく醸し出している。
十年ほどの私と彼との差違も、葵祭の歳月がないものに等しくしてくれる。大学の新学年度が落ち着いてくる時期である。裕明さんの句の中には、たまにこうして、ふっと大学での暮らしを思い出させる句があるのだ。

悉く全集にあり衣被 裕明
 この全集は、虚子か爽波のものだろうが、私には、田中裕明全句集である。悉く、あるがまま。衣被がよく合っている。
 
七草のまだ人中にある思ひ 裕明
 正月七日、よほどひとの集まる場所に出掛けたに違いない。御馳走三昧だったにちがいない。そんな一日の夕べなのだろう。

おのづから人は向きあひ夜の長し 裕明
 裕明さんは、誰ともまっすぐに向き合う人であった。おのづから、には、性を感じる。私への添削でもしてくれていたのだろうか?

日脚伸ぶ重い元素と軽い元素 裕明
 裕明さんのことは、理科系ということ以外仕事については全然知らない。ただこの句はよくわかる。世の中には、日がな一日、元素の重い軽いを考えて過ごすひとがいるということはわかる。

茉莉に書き杏奴に書きぬ夜の秋 裕明
 鴎外の娘に宛てた手紙、龍さんも自分の娘を重ねていると鑑賞している。裕明さんには句に、家族の姿もよく現れる。愛し、愛される家族の姿を隠さない人だった。