台風21号の被害、それゆえ、再会

台風21号の被害、それゆえ、再会
       2018/09/10
       十河智

 この前の二十一号、風台風被害の状況は、うちの近所の家をかなりひどく傷めつけて行ったことが、わかってきた。
 わが家は幸いにもアンテナがずれたこと、飛来物が山のように積み上がったこと、この被害ともいえない軽微な二点で終ったが、ご近所には、大きな被害があったことが、だんだんにわかってきた。
 台風の後始末の疲れも取れて、久しぶりに買い物に出た。うちの長い塀沿いは車を停めやすいので、工事車などがよく駐車する。そこに見慣れない神戸ナンバーの車があった。
目の前の五叉路を曲がるとすぐに、屋根の瓦がかなり飛ばされた家に修理が入っていた。生協の共同購入など、同じ班の親しいお宅である。建て売りの家を上手に増築し二階建てになっている。
 帰ってきたときに、一番親しいお隣に被害はどうだったと声をかけると、大変だったと出てきて、いろいろ話してくれた。建て売りだった家を壊し、大手の建築会社で新築後、30年経つお宅。庭仕事の道具入れが倒れ、家の大屋根の庇の化粧打ち板が、あちこちで捲れたと言う。反対側のお隣からの落下物で、車庫の一部の屋根も壊れ、ベランダのものが飛んでいったと言う。
 そのお隣のお隣のおうちも大変らしい。ここは中古で住人が変わってから、二十年くらい。前の住人の時、母屋の建て替え後、まだ新しいうちに、裏に建て増した離れがあったが、それも大きく壊れたと言う。母屋の屋根瓦も広範囲で落下していた。
 うちの並びの三軒は矩地をもつ住宅街の端で、坂道に沿っている。低い方から風が昇って来るように吹いたようだ。
 風には通り道があるようで、それ沿いに空き家や古い家が被害にあっているようだ。その風が広く五叉路になっているうちの前の広場を抜け、朝応急修理を開始した家のある方向に行ったようである。そこの向かいの家は、故あってかなり長い間、空き家にしているが、異常に気づいた裏の人が報せてくれたと、家主が帰ってきていた。表通りからは見えない敷地の裏の方が、破壊されていると言う。神戸ナンバーの車は、そのお宅の物だった。
 お隣の奥さんとしばらく立ち話した。うちのアンテナの話をし、電気屋さんが、「来週でないと見に来られない、30軒以上依頼を受けて順に回っている。豪雨、台風、地震でアンテナの部品や製品に在庫がなく、見に来ても修理は遅くなる。」と、かなり忙しいのか、機嫌悪そうに言われたことを話した。お隣も、明るくなってから、被害の大きさにビックリしたこと、倒れた物置を起こすのに、どれだけ大変だったか、そんな話をしていた。お隣は隣接のこの辺りの旧村地区の様子も伝えてくれた。一番の衝撃は、五十年前、私たちの町ができたときにも既に古かった無住の四軒長屋、当時は文化住宅と呼ばれていた畑地の真ん中にある建物が、まさに崩落したと言う。うちへ飛んできた雨樋はそこからのものかも知れないと思った。

鰯雲だんだん被害明らかに
屋根被ふ野分きのブルーシートかな
二百二十日アンテナ在庫既に尽き
落下せし物の出所椿の実
花カンナ古アパートも崩れ落つ

 そこへ、修理中の二軒の家辺りから、懐かしい雰囲気はあるが、どうしても記憶と結びつかない面影で、人がこちらにやって来た。上品で小柄な白髪の老婦人と、50代の女性。「十河さん、お久しぶりです。」聞き覚えのあるさぬき鈍りの声であった。「○○さん、思い出さんかったわ。白髪になって。」「もう忘れんといてよ、白髪はお互い様でしょ。」聞けば、家の被害を連絡してもらって、屋根の被いをして貰うために、業者と現地集合で、神戸から来ているが、あまりに損壊箇所が大きすぎて、ブルーシートが用意しただけでは足りないらしい。連絡してくれた家にご挨拶に向かうところのようだったので、すぐに別れたのだが、その間話したことのひとつに、いつも自宅に戻って植木などの手入れをしてくれていたご主人をつい最近亡くされたという話もあった。船員だったご主人も、目の前の奥さんも、偶然同郷であり、10才も離れてはいない年上家族だったので、よくしていただいた。詳しくもゆっくりも聞くことができない状況であったが、一昔前なら、必ずお葬式に参列したに違いない、そういう関係のおうちであったのにと思うと、何とも、身に凍みる現代的なワンシーンと言える。用意していないお悔やみの言葉は、あれでよかったのだろうかと、心残りを引きずっている。
 新しい住宅街で、みんな結婚したところで、溌剌としていた。子育てを隠し事なく見せ合っていた。「叱りすぎる、誉めて育てよ」と少し年上の件の人によく諭された。お隣やここで被害を述べた家家には、子供たちの声があって、うちの前の五叉路は、遊び場であり、サロンでもあった。ゴレンジャーごっこをする子供たち。朝、幼稚園へ子供を送り出してからの母親たちの立ち話、幼稚園から、小学校から帰ってきた子供たちの行き交う声、時に、藪や池に潜む不審者から、女の子達が、逃げてくるような事態もあった。50年。人生をここで擦り合わせた人たちと、最後の時を見送り、見送られることが少なくなった。私も、娘の側に何れ寄り添うことになる。家を維持できる力は、年年萎えてきている。心はもうここで弾んで暮らしていた頃のものではない。時に思い出す人がいても、生死の情報もこうした偶然によってしか得られない。情の薄い世の中、どの家も老老、または、老老老、ばかりの暮らしなのだ。受け入れざるを得ない。遠方に暮らす身内を頼らざるを得ない。「遠くの親戚よりも近くの他人」といった時代は、どこに、いつのまに消えてしまったのだろう。
 神戸の奥さんにずっと寄り添っていた50代の女の人、あれは、今の今まで、時々見かけた妹さんと思っていたのだが、そんなはずはなかった。うちの娘よりひとつ年上の、奥さんの頼っていった娘さんだったのだ。ああ、もっといろいろ話せばよかった。

重陽や子ら遊ばせしこの五叉路
神戸より空き家の主や白芙蓉
秋の声まづは白髪をお互ひに
夫亡くし重ねて台風禍を語る
建物に齢ありけり木の実降る  
仲秋や家破れたり倒れたり