平成30年台風21号の顛末

平成30年台風21号の顛末
        2018/09/07
        十河智
 平成30年台風21号は、初めて、気象庁の言う、「かって経験したことのない」が実体験できた気がする凄い台風だった。その日、次の日の我が家の顛末である。

 朝は穏やかだった。つくろいもののために、ミシンを出していたら、電話がかかったが、取るのが遅れた。次に娘がかけてきた。「孫がニュースをみてしんぱいしてかけたのに何故でない」という。孫いわく、「おじいちゃん達、電話にでない。避難しているから大丈夫」
 もうあちこちでこの台風の被害状況がニュースになっていて、心配していてくれたのだ。朝のうちに、雨戸を何年振りかに閉めて行く。家の中がどんどん暗くなっていく。台風が来るという覚悟が固まって行く。
 午後1時ごろから少しずつ、雨戸を閉めたので風の音だけ。それが凄い。その間、娘が3回、大阪近辺の友達の家や家族に異変を聞く度に電話をかけてくる。今までにないことだが、それほど身近にいろいろ起こったということでもあった。堺の友達のとなりの家の壁が壊れた、大阪近郊停電中と高潮、寝屋川の知人のマンション最上階の部屋ので窓が飛んできたものがあたって割れた、メールやラインがいろいろ情報をくれるようだ。その度に心配の電話、心強くて嬉しい。が、当の私達には、つい今しがた始まったばかりだった。
 その日は、どこにも行けない。昼、カニ缶とわかめと乾燥野菜でそうめんチャンプルと、夜、買い置きの肉とたまねぎでオムレツ。そう決めて、遅い昼食を取り終った午後2時頃、わが家のまわりも強風が襲ってきた。裏は手入れしない竹林、いつも風が吹くと歌舞伎踊りの連獅子のごとくに撓り揺れる。その竹林の異様なくらいのしなり、折れはしないか、うちに襲いかかる八岐の大蛇のようにも見えた。昼食の最中には、壁面をドッドドドと叩き抜けて行く物があった。壁でよかった。窓であれば割れていた。何事が起きたか、外に見に出る勇気はなかった。家が浮き上がるかと思うほどの風、風速50メートルくらいだとあとで知るが、その凄すぎる風の音を、言い表す言葉が見つからない。そのときふっと一瞬電気が切れかかったが持ち直した。
 守口の友人からも電話がかかってきた。停電で、懐中電灯と蝋燭を用意したと言っていた。しばらくこの友人とおしゃべりをできて、気が紛れた。
 情報を得るために、つけっぱなしにしておいたテレビが切れた。パソコンを触っていた主人がインターネットが通じないと声をあげた。うちはケーブル通信会社と、テレビ、インターネット、電話とセットで契約している。配線を調べたが何もない。録画装置は動く。隣の家のテレビは問題ないと言う。通信会社に携帯から電話しようとして、携帯の状態もおかしいと気がつく。インターネット機能がダメになった。電話とショートメール、電話回線で行う機能で、朝何度も電話のあった娘に連絡しておいた。固定電話は繋がらないと。FBは途切れ途切れになった。こうしてなんの情報も得られぬまま、うちの周りの風はやっと収まりかけた。その間、通信会社は「台風の影響のため、大変混雑しています。お掛け直しください」というばかり。全く、どういう状況でということには触れてくれない。
 5時には、あの強い風が弱まっていた。嘘のような短い時間であった。 夕飯前にスマホをいじっていて気づいたことがあった。スマホは電話回線だけで、機能する筈なのにおかしいと。WiFi機能を offにして、携帯電話回線のみのルートにしてみた。携帯電話に、Yahoo! が戻ってきた。 FBの画像やお友達のプロフィール画像も、現れ出した。なあんだ、である。が思い出せなかった。
 台風は過ぎていった。携帯が機能するようになったら、避難指示が次次と解除の報が届いた。テレビと固定電話はその日に回復しなかった。

 朝になった。
 家の周囲を見回って、庭と側溝には追い剥ぎにあったように風にもぎ取られた葉っぱや小枝が吹き貯まっていた。松の支えの針金が切れて垂れ下がり、庭の雑草は地に着くほどに倒れ、まさに野分き跡であった。雨樋が転がっていた。長いこれが昨日壁を擦っていったものだと思った。点検したところ、雨樋に異常なかった。どこかの資材置き場から飛んできたらしい。大屋根の上で、アンテナがずれているようだ。
 順に電話していった。庭師さんは、近く来てくれることになった。去年修理の総点検をしてもらった建築会社に雨樋の点検掃除を頼もうとおもったが、大きなところのフリーダイアルはどこもおなじ対応をする。「ただいま電話が混みあっています。」何回もかけたが繋がらなかった。
電気屋さんにアンテナを見て貰うことにする約束はできた。
 テレビやインターネットは回復していた。また娘は電話が繋がるか確認のためにかけてきてくれて、電話も元通りと確認できた。
 テレビで関空の被害や大阪の停電のこと、京都駅やその他の被害状況がわかり、驚いた。電柱や街路樹、信号を根こそぎ、あちこちで薙ぎ倒していったみたいだ。
 お昼前くらいから、主人と二人で、側溝や庭の飛んできたものの片付けを始めた。何回かお昼ご飯や休憩して、ほぼ夕方までかかった。そのうちに他の家でもおなじようにゴミ袋四、五個分の木の葉や板切れ、建築材の破片を出してきた。飛んできたものが山が近い住宅街の端っこは多い。
 疲れきって、夕飯は外食にした。

そしてまた次の日、耳を疑った。北海道で大地震震度7

この、今年の天災の連続は恐ろし過ぎる。

台風来雨戸何年振り閉づや
大修理終ふ家にをり台風裡
ごおつごおと耳に恐ろし野分風
秋灯下世と繋がらぬ闇の中
飛んで何か壁擦りゆく台風禍
庭埋む木つ端竹の葉野分跡
野分晴掃き集めたる七袋
破れ芭蕉埠頭の車さのごとし
風台風京都駅にもガラス降る
台風二十一号関空冠水橋破壊