地震の前の日、麦笛句会でした。

地震の前の日、麦笛句会でした。
      2018/06/21
      十河智
 地震の前の日は、大山崎ふるさとセンターでの麦笛句会であった。先月は所用で欠席したので、久し振りの感じがする。梅雨の晴れ間、青空は見えるが、景色は重たい。

 大山崎ふるさとセンターの入り口ロビーの片隅に、生花の展示ケースが置かれていて、未生流池坊などの先生級の方のお花や、たぶんその方たちの指導になる、この校区の小中学校の生徒の生けた花が展示されている。毎月の句会の前の楽しみである。
 特に小学生の作品は、シンプルだが、流儀に忠実で、私の習った池坊などの作品を見せてもらうと、なんだか懐かしい。この日も小学生の池坊の二作品、花材は、ひまわり、カーネーション、ニューサイラン。今私が活けているお花も基本は変わっていないなと、若いときにたたき込まれたものは、忘れないものだと、改めて思う。

 会場に入るといつものメンバー、近い人もいるが、案外、京都市内や神戸・大阪など、遠くから来ている。欠席投句も多いので、席題を含めて、一回の句会につい最近システムを変えた。十句出して、八句選、うち一句特選。
 一回句会になると、四時くらいには終了するようになった。遠いものには、ありがたい。
句会途中に、緊急災害情報のベルが私のスマホからけたたましく響き渡る。切っていなかった。(余談だが、この後の地震では、警報や、速報が鳴らなかったと言う人が多い。私は、確認できていないのだが。)

 この句会で、思い出に残る句ができた。

往来も空も茂りも窓の中  十河智

「空」という題詠でその場で作ったものだが、森賀まりさんが、特選に採ってくれた。大体、私の句はそんなに深い考えもなく行き当たりばったりなのだが、感覚的には、そのときの気分に忠実なことが多い。この句にも、梅雨の重い空気に閉じ込められた鬱とおしさが、滲み出たのかもしれない。この句を読んで、裕明さんの晩年、闘病生活の中で、ベッドの上、窓の中からの景色しかない境遇での句作のことを思い出す、と講評された。
 裕明さんの身の内にあるすべての言葉を昇華させるごとく、句に置き換える作業が、最後を悟った病床で行われたに違いないと、「夜の客人」を読み進むときに感じていたことを思い出した。病床での作句とは思えないほどの量と迫力であった。
 まりさんは、ふと裕明さんの思い出話をされる。ほんとに残念で、惜しい方が早く逝かれたと思う。俳句は、読む人のものでもあると改めて、感じさせて貰った。

 明るいうちに、いつものコースで帰っていた。バスで枚方に着き、バス停の見えるファミリーマートで、俳句配信「セレネッラ」を手に入れようとして失敗。アイスコーヒーを飲む。少し暗くなってくる。バスが来たと思って飛び乗った。ところがこのバス、途中の車庫までのものだった。下ろされたが、そのときは次のを待つようにと言われ、ICOCA をとおさなくてよいといわれた。待って次のに乗って、香里園でトラブル発生。ICOCAが効かなくなっていた。 ワンデイだったのに、料金を払い、降りた。バスの案内所はしまっていて、ICOCA のことだから、京阪電車の案内所にいった。七、八千円残っているものがダメになって、急いで手続きしたかった。すぐに手続きしてくれて、翌日寝屋川で新しいカードを受けとることになった。そのまま電車で寝屋川へ帰った。家についたのは、8時。ICOCA などのプリペイド磁気カードは突然壊れることを知った。

 翌日、起き抜けの、地震

 ニュースで、電車が止まっているという。医者に行き、そのあと駅でICOCA を受け取って、と思っていたが、朝は止めた。迷惑になるかもと思った。
 夕方、医者と駅に赴き、薬とICOCA を手にいれた。帰りのバスで、運転手さんが、お婆さんと若い人に何度も聞かれていた。長い経路のバスで、終点までいく人は少ない。この二人は、JR が動かず、帰宅困難になり、迂回して、バスに乗ったようだ。終点近くまでいくようで、とても不安そうであった。

 いろいろと経験できた不思議な二日間であった。

コンビニの便利に馴れず冷コーヒー
災害警報梅雨の句会の最中に
句意遥か遠くありけり師の青嶺
梅雨台風ICOCA読み取り障害も
梅雨夕焼帰宅困難者の隣  十河智