エル・シアターへ、人形劇「はなれ瞽女おりん」を見に行きました。

エル・シアターへ、人形劇「はなれ瞽女おりん」を見に行きました。
        2018/05/01
        十河智

 コープシアター大阪の第93回例会があった。
主人は芝居や舞台は誘ってもなかなか行かない。天満橋近くのエル・シアターなので、守口の京阪デパートまで送ってもらった。お昼ご飯は付き合って、晩御飯を買って帰って貰う。公演は十五時からなので、ちょうどいい。少しでも一緒に出掛けるところを作る。連休なのにと、拒否されかかったが、若い子は、キャンプや海外だからと、強引に出掛けさせた。道路もデパートも空いていた。
 デパートで、お蕎麦を食べた。お腹の負担にならないものと思ったのに、「今大盛サービスできます。」の一声に、イエスと反応する大阪のおばちゃんになっていた。どのテーブルでも、断らないようで、安心する。
 主人とそこで別れて電車の駅へ。
 二階の連絡口のフロアは化粧品売り場と思っていたが、モロゾフが新たに一角を締めて、開店していた。何か違和感を覚えた。匂いの対決、モロゾフは勝てるのか。そう感じていた。

 時間通りに劇場についた。

 平(たいら)常(じょう)という人形劇俳優が一人で語り演じ、且つ人形も使う舞台である。「はなれ瞽女 おりん」、水上勉の憐れな女の物語。若い頃、新聞小説で、全集で、好んで読んだ懐かしい作家である。
 平(たいら)常(じょう)の舞台は、人形劇であり、朗読劇であり、一人芝居であり、黒子は何人かいるが、声色を変えて、十五分の休憩時間を挟むだけ、二時間半をただ一人で、人形相手に演じきった。後で挨拶に立った彼の声が公演中には無い掠れ、ダミ声であったのに、驚いた。語りの部分は、本当に懐かしいもう何十年も接することがなかった水上勉の文章であった。舞台には、新聞紙を荒くちぎった紙屑の大きな山、場面、季節に応じて、その一部を降らせ、放り投げるように散らせる。桜、砂浜の砂、落葉、雪。それぞれに目明きの観客に与えるイメージとして、微かな色が投じられる。目の見えないおりんを逸脱しない程度に。効果音はほぼ波の音である。越後から若狭まで、四季もあった。おりんの聴いたであろう波の音である。
 昔、テレビドラマで見たものよりは、現実味が薄いなと思った。残酷さは、時代とともに、薄まるのであろうか。それでも終わった後のロビーで、涙涙だったと言う声も聞いた。憐れな一生を伝えてはいた。
 コープシアター大阪のお世話人の中心にもと人形劇をやっていた人がいる。それ故か、人形劇を取り上げることも多い。平常さんはこの人の公演を十三才の時に、故郷の北海道で見て、人形劇に興味を持ったと言う。縁を感じてやって来たと挨拶に入れていた。また人形や舞台の写真を撮らせ、SNSに挙げてくださいと、正に現代的に宣伝効果を期待しているようであった。面白い人である。私は、またまたの電池切れで、現場の写真は撮れなかったのだが。

 天満橋駅に戻る。もと松坂屋の京阪シティモールジュンク堂書店と喫茶トリコロールの階は変わらない。ここで一休みして、川沿いの都会の夕暮れを楽しむのが好きだ。夕方七時頃、帰宅。春満月。

ゴールデンウィーク街は透いてをり

夏兆すコスメの横にチョコの店

はなれ瞽女歩いて聴ける波の音
瞽女おりん四季はつきりと波の音
四季に降る盲なる身に色は無し
切り紙の山森に砂浜になる
昭和の日水上勉書く世界

四月尽クレーン動かぬ一週間

春満月駅の改札抜けて暮
  十河智

(舞台の感動を、瞽女おりんの物語の記憶を残すのに、無季にならざるを得なかった。)