「セレネッラ」 【第14号・冬の章】を読む

「セレネッラ」
 【第14号・冬の章】を読む
        2017/12/27
        十河智

これで二回目、スムーズにコンビニで手にいれることができた。一枚の紙片のなかに、心地よく配置された個性。待ち遠しかった、冬の章。

トナカイ  金子 敦
 直接ではなく、この季節が伝わってくる。荒んだ枯野ではなく、人の営みと温かさをどの句にも感じる。

セーターの胸にトナカイ行進す
寒月とチェロを背負ってくる男
空っぽの菓子袋飛ぶ枯野かな

短文の最初に「葱が嫌い」とあって、一瞬ドキッとした。セレネッラで、葱といえば、と思ったので。最後まで読めばほっとする。

えんどれす  中山奈々

 ご本人と句会でご一緒したことがある。今回は、思い出しながら、読ませていただいた。一句の中にある飛躍が面白かった。言葉を転がして遊ぶようなところも。

きみは鼻から冷える宿木の下
冬たんぽぽ下から覗く獅子の四肢
手を繋ぐドリンクホルダーにマフラー

今日も気ままに生きている。すぱっと言い切っているが、案外気を遣う生き方ではないかと、残りのところで思う。

文化麩  中島葱男

文化麩の具体的な姿は調べきれなかった。一般的な麩を想像し、何か新しさを加味したネイミングの感覚を楽しんだ。読んで字のごとく、足してふくらむ狸汁であった。どの句も捨てがたい面白味がある。簡単に言い終えているが、含蓄に富んでいる。

玉掴む龍のかぎづめ空也の忌
文化麩を足してふくらむ狸汁
七味より一味の気合ひ紅葉鍋
ストーブに焼べる鉄道唱歌かな
雪玉のころがる先に大盆地
雪蛍包まんとして死なせけり

不思議な景観の町「マテーラ」その実際をテレビ番組で見たことがある。旧石器時代から現在に至るまで住み続ける。石の文化の頑丈さを思う。我々の持つ儚い木の文化との差を思う。

俳優客演ーーー
  松下カロ

我が名
 
さらさらと仁丹こぼすクリスマス
 この句が直ぐに目に入った。実にさらさらと滑る口調で何度も読んだ。仁丹を容器からこぼした、案外多くの人に共有される経験、その銀色の粒のささやかに流れ落ちる音、転がって広がる世界、これがクリスマスとイメージで結ばれる。聖しこの夜の星となり、ツリーの電飾の煌めきとなる。

粉雪に天使堕天使すれちがふ
 よくある映画の、粉雪舞う雑踏のワンシーン、なんのことない人と人とのすれ違い、それに、天使堕天使を重ねて見ている。天使も、反作用のように、堕天使も、そこいら中に、人の顔して歩いているように思う。

母が呼ぶ我が名のごとく帰り花
 私も亡くなった人と想いの中で、生前と同じように会い、話すことがある。それは紛れなく、現実なのだ。帰り花、目の前に再びの幸せが帰ってくる。

【私の好きな季語】帰り花
 旅の一期一会、再会の実現しなかったマダムの思い出。これにつけられた円地文子の俳句がとてもよくあっていた。
「帰り花むかしの夢のしづかなる」円地文子