関 悦史著「俳句という他界」を読む

関 悦史著「俳句という他界」を読む          2017/12/15
         十河智
 中味の一杯詰まった俳句の評論集、一つ一つの文章が独立して発表されたものであったし、纏めてしまうには、視点が多方向に向いていて、不可能である。ここでは主だった文章の、印象深いところを引用して残すことにした。
 ところどころ、[ ]で私なりの感想と理解できた限りの要約を入れた。

「俳句の懐かしさ」

1
 俳句において表出される自己とは、現実に人生を送る個体としての自己を、その全てを相対化しうるメタレベルの自己が包摂しつつ、しかし個体性からも遊離しないという二重性の中で生成し続けるものなのだ。
2
 芭蕉の遺志を許六がまとめた俳文集『本朝文選』
「言語は、虚に居て実をおこなふべし。実に居て、虚にあそぶ事はかたし。」
3
 俳句形式に固有の聖性への回路があるとすれば、それは日常生活・技術・物・溺死者といった断片的個人的なものたちに凝縮された歴史性と、聖性・法・道徳律といった不可視の統合性との間にあるものとしての人間に脇句以下を欠いた断片として独立し、個人の内面や言説性をその短さと滑稽性によって相対化しつつ、一つの統合性を示すという俳句のあり方とが構造的に相似であるという点に他ならない。俳句の懐かしさはここにある。
4
 「下京や雪積む上の夜の雨」
 凡兆の中七下五に芭蕉が上五を提案した。
 地図を俯瞰するような視点と、地名が孕み持つ情趣や連想性が際立った、作中の語り手よりも上の次元にある語への飛躍と再統合だったのである。
5
 俳句における懐かしさとは、未生以前への懐かしさであり、潜在的「溺死者」たる個人個人固有の記憶の懐かしさであり、死後から見たこの世の懐かしさであり、聖から見た俗の懐かしさであり、虚から見た実の懐かしさである。
6
 かたつむりつるめば肉の食ひ入るや              永田耕衣
 踏切のスベリヒユまで歩かれへん
             永田耕衣
7
 あらそはぬ種族ほろびぬ大枯野
             田中裕明
 水遊びする子に先生から手紙
             田中裕明

〔いい句がなぜいい句であるのか、自分の句になぜ詩情が足りないと言われ続けるのか、謎が解けた心地である。〕

「断章」
 幾つかの短い作家論的エッセイで私がやろうとしたことは、その作家固有の構造を作品群から搾り出し、その結果として「わからない」と思われがちな作家、例えば安井浩司に対しては共感とは別の仕方での理解可能性を示すことであり、また逆に充分な共感と理解可能幻想に包まれている田中裕明のような作家に対してはその怪物性を抽出することだった。

〔まずこの俳句に対する総論的な二文、章を別けて、「幾つかの作家論」「俳句に関する概論と評論」が並べられている。〕

〔作家論では、あまり知らなかった作家、攝津幸彦、阿部青蛙、好きな作家永田耕衣、師である田中裕明、それぞれに、作家の特長を明確に示し、作家の個人史や状況にも触れて、わかり易く、面白かった。〕


「《花嫁》としての金子兜太、あるいは大パイプオルガン以後」

 いかなる時代であれ「現在」は常に更新と統合への潜勢力を秘めている。その意味で「前衛俳句」の当事者たる金子兜太が六〇年代を「あの保守化の雰囲気の中で」と捉えていたのは印象的だった。当時生を享けていなかった者からすれば六〇年代は前衛芸術・アングラ文化百花斉放の時代と見えてしまいがちだからで、当時にしても別段新しい領域を切り開くのに恵まれた時代にいると当事者たちが感じていたわけではなかったのだという当たり前のことに気づかされたからである。

金子兜太のこれ迄を通して、時代と前衛・前衛俳句について、考察している。いつの時代も前衛はあり、いつの時代も当事者にはやりにくいのである。前衛俳句、新世代句と認定されるのは、今の若者たちにとっても、
この後のことである。〕


「写生について」

1
 子規にとって写生は、放置すればどんどん月並化していく固定観念的なものの見方を取り払い、世界の細部と生気を素手でつかみ取るような方法として意識されていた。
2
 客観と主観、世界と「私」の分離したままに果たされる安らかな統合としての「写生」を、俳句においては、高浜虚子が「客観写生」へと変質させた。
 想像や思い込み、自己執着による陳腐化を避けさせるための「客観」の強調だったのだろうが、これによって「私」は世界との統合というダイナミズムから切り離され、世界を外部から観察するだけの静的な視座にまで縮減された。虚子はこれに「花鳥風詠」という、本来写生とは別のベクトルを持つ審美的類型化をもって世界を覆うことでその肯定性を補填した。
3
 写生文家の描写は多くの場合において客観的である。大人は小児を理解する。しかし全然小児になりすます訳には行かぬ。小児の喜怒哀楽を写す場合には勢客観的でなければならぬ。(夏目漱石「写生文」)

 写生の喜びとは「大人」と「小児」の間に介入し、目もくらむ広大な時空を開かせながら、それによって繋がる輝かしい飛躍・断絶の領域、その生成のうちにこそあるのである。

〔写生については、師系である虚子の客観写生を間断なく、言われ続けてきたこともあり、ここでの論説に頷きながらも、揺さぶられながらも、まだまだ確固とした考えには辿り着かない。句作の現場で、私の中の「私」と対話を重ねるしかない。〕


「数学に問うプルトニウムを詠むべきかと」

1
 東日本大震災後、俳句作者たちの状況もばらばらになった。
2
 大事なのは日常性の回復なのだ。
3
 被災地で日常性が奪われたままの作者は、その名を言い当てさえすれば倒すことのできる怪物を前に言葉を絞り出すように震災を詠み続けることを強いられる。

阪神淡路大震災の時、経験したことを重ね合わせてみる。被災地を抜ける最中は緊張で、とても俳句どころではない。そこに俳人も多数いたに違いないが、やはり俳句は日常が戻ってからの事だった。見たままをほんとに絞り出すように、残酷な言葉を用いて句に起こしていった様な気がする。〕

4
 ここでも「時間が止まったまま」という言葉が現れる。日常性剥奪の象徴である。俳縁の生じた個別具体の人々に対する、無事に生き延びてしまった者の罪責感情にも似た何かが、それを共有することを可能にした。

〔数学におけるコホモロジー、らせん状に閉じながら、無限に開かれた情報が復元できる、これと季語のあり方がよく似ている。「春」は、「今年の春」が同時に、「一昨
年の春」や芭蕉の時代の「春」でもある。この辺りの事は実感がある。〕

5
 小澤實は《翁に問ふプルトニウムは花なるや》と、芭蕉への問いかけの形で放射能への戸惑いそのものを一句にした。

〔この句に対する解答の一節は、要約すると次の様である。プルトニウム放射能を放つ、その有害性は半減期という形で世界に導入してしまい、季語のように閉じることがない。「花」ではないのだ。プルトニウムの染みついたあらゆる季語をもって俳句を作る、「花」と「外」の双方をつらぬく善悪の彼岸の視点から、プルトニウムを生み出し、忘れ去る人間のいとなみを捉えなおす。永劫存在し続けるプルトニウム、強いて詠まずとも俳句の中に自ずと染み込んだ「花」と「外」が詠み込まれる、ということなのだろう。〕