小津夜景著「フラワーズ・カンフー」を読む

小津夜景著「フラワーズ・カンフー」を読む
         2017/12/08
         十河 智

 2017年第八回田中裕明賞受賞作、小津夜景著「フラワーズ・カンフー」を読んだ。変わったスタイルの構成で、句集ながら、散文も、短歌も入っていた。章ごとに、構成が違っていた。読みにくい、難しい、わからなかった、そういう感想をよく聞いた。句会で、貸して貰えるというので、若い新しい感覚の俳句に触れてみたくて、手をあげた。
 予め、田中裕明賞の選考経過や、選考委員の言葉を調べてみた。「句の感興をどこに求めたらいいのか、掴めない句も多い」という言葉もあったが、「作品に使われる言葉の質感は今まで触れたことのないものだ。」「想像力を快よくくすぐられる。」「独創的で、感覚が新しい」、「文章が句集であることを妨げてはいない、バランスが絶妙」「句の発想と語彙に新鮮な驚きを覚える」、といったことが、順位は各選考委員それぞれながら、高評価の根拠になっていた。
 私の読後感は、悪くなかった。この作品、彼女の表現は、わからせようとか、わかろうとするものではない気がした。決して「わかって」、などと訴えてはいないと思われた。ただ彼女から発せられた、この一冊の中にある言葉は、私の中に気持ちよく滑り込んできた。それ以外に感想の言葉は、思いつかない。読んで何かを記憶に残したわけではない、彼女の言葉に、純粋さ、光、波動のようなものを感じ、受け入れたに過ぎない。
 この句集に納められた句や文、使われた言葉はどうしてこのように発せられたのだろうか?意味があるとは思われない、掴みきれない展開をする句、その事について、また考えた。意味をこじつけたり、考え込んだりしてはいけない気もしていた。大昔読んで以来だった、言葉について哲学者の考察した本を読み直した。(「言葉」ギュスドルフ、笹谷 満・入江和也訳)
 この本に、「邂逅としての言葉」「表現」という章がある。
 引用すると
1、「邂逅としての言葉」より
 ★人間の言葉の二律背反、すなわち、他人の探求と同時に主体の主張が明らかにされる。
 ★一方において、言語活動の表現的な機能がある。……他方において、伝達的な機能がある。……表現と伝達との二重の分極は、一人称と三人称との間の、個人的な主観性と常識の客観性との間の対立に対応する。……人間の言葉は、その求心的な機能と遠心的な機能とを決して同時にうまくなしとげることができないであろうから。

2、「表現」より
 ★自己を表現する要求が消えるためには、生きたいという気持ちそのものが打ちのめされていなければならない。
 ★表現は、世界において自己を確立する、すなわち、世界に自己を付け加える人間の行為である。
 ★それは、もしもわれわれが、突然、通常の安全性からしゃ断されたときに、われわれを回復する力を持っている。
 ★これが仕上げにもっとも苦労のいらない言語の機能であって、ここにおいては、表現は、あらゆる論証的可解性から独立に、純粋な状態で行われる。
 ★文体は個性の特殊な表現である。

 長い引用になったが、ここに、すべてが解答として、あるように、私は思い、本棚から古い本を探しだして確認したのだった。

 小津夜景は、あとがきのなかでいう、〈非ー記憶〉のかけらを散乱する〈記憶〉の中から、〈非ー記憶〉ばかりをよりすぐる、と。〈非ー記憶〉を探すことが、表現そのものではないのだろうか。〈記憶〉との対話により、その方法、文体を発見しようとしている。伝達的な手法による散文と、自己表現として湧き出てくる言葉を交互に置くことの意味も、頷けるし、あってよい。「生きても生きても歳をとらない。」という彼女の言葉は、まだまだ表現する気合いを感じさせて、力強く思う。

章ごとに、気に入りの句を挙げる。

あたたかなたぶららだなり雨のふる
きぬぎぬのあさつきぬたの柔らかき
ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵

斑猫に花の柩車のある暮らし
毒薬の壜のきつねのてぶくろよ
飲み干せば風もいまはをうごかない

石ころと暮らして蔦の手帖かな
なんとなう忘れがたみぞ額に露
かの世へと踵を返すきりぎりす
いつまでも屍体だりんと鳴く虫だ

しろながすくぢら最終便となる
大伽藍くぐらんごとく読みはじむ

てのひらを太鼓にかざす鳥の恋
青き踏む地球最後の音楽家

うつせみの背に阻まれた椅子がある
びいどろよひとがさかなとよぶものは
いつぽんの水母が白き帆を上ぐる

またとなき日がまたの名を名告りけり
使用済みインクの滲む雲や秋
瞑りたる目は鶏頭の襞のまま
もう夢に逢ふのとおなじだけ眩し

ゆくえしれずのこのわたがうつくしい

閑吟集」 
  漢詩と和訳
〈言語間にある隔たりと、揺れ。近づいたり、離れたり。〉

ぬつ殺しあつて死合はせ委員会
もぢもぢと師系告げあふ堤防ぞ

戦争のながき廊下よクリスマス
神の死の死を告げしのち梟は
もろびとのこぞりて愛に引き籠る
言の葉に効く毒抜きはいらんかね

たてがみを手紙のやうに届けたい裸足でねむる樹下のあなたへ
声あるが故に光を振りむけばここはいづこも鏡騒なり

刻々と〈ごとく〉のやうに此処にゐて
嘔吐(もしわれ影でない何かなら)
忘却は星いつぱいの料理店
別のかたちだけど生きてゐますから
ナフタリンのやうだ二人は抱きあつて

目薬をくすぐる糸の遊びかな
約束はいまここの反故イワシグモ
長き夜のmemento mori のm の襞
凍蝶をはがしあふ日のふるへる眼
いまだ目を開かざるもの文字と虹

跋やいまもカモメの暮らし向き
かはほりが空のほのかな外にあり
空虚五度くぐり祭のあらはれし
ほろほろとはらわた崩ゆる夏の月