へくそかずらと彼岸花、私の思い出

へくそかずらと彼岸花、私の思い出
2017/10/02
十河智

1、へくそかずら、はじめて教わったあの日

最近のフェイスブックで、へくそかずらの花を挙げているのをよく見かける。この花を見ると、はじめて教わったあの日のことを思い出す。半世紀前のことである。
大学四回生だった。薬学部では四回生から教室に入る。先生について、研究の雑事を手伝い、研究者は研究の入口に、就職するものには大学生活の出口になっていた。私の属した薬用植物学教室では、扱う植物を自生地で直接採集することもあった。私のいた頃はエゾリンドウとスイカズラを研究の材料にしていた。スイカズラは京都の静原で採取していた。
ある日、助手の先生について、大きなリュックサックを背負い、花脊行きの京都バスに乗って、静原へ行った。先生は見当をつけた何ヵ所かのスイカズラの群生しているところを次々と探しだしては採取して行く。「またの時のために、根は残す」そう教わった。今は、刈り取ることも許されないだろうし、研究テーマや手法も全く違う時代になった。懐かしい限りだ。
十月はスイカズラにも花がない。先生が、違いがわかるかと、少し離れたところのかずらの葉を取って渡す。固さと円みの違うことを確かめさせた後、擦ってにおいを嗅げという。先生の面白がる顔を覚えている。「へくそかずら、だよ。」と名前を教わった。
その日、もうひとつ、テイカカズラも教えてもらい、私の中では、スイカズラ、へくそかずら、テイカカズラは、いつもセットである。
あの頃、山道では、バスに行き逢い、手を挙げると、バス停でなくても、停まってくれた。今はもう見なくなった、前が鼻のように出っ張ったその当時でも旧式のバスに揺られて京都市内に帰ったことも思い出した。

静原の十月の道草深く
ひたすらに歩く峠や秋暑し
へくそかずらその名笑ひて教へたまふ

2 彼岸花、採るな、飾るなと、母が言った。

これも最近、フェイスブックで、話題になることが多い、彼岸花の話。彼岸花のきれいさ、美しさを写真でアップしていることも多い。が、私の年代のものには、少し、この扱いには違和感があるのだ。彼岸花には、別名が多いこともよく話題になるが、置き換えられるような単純な地域の呼び名というものでもない。彼岸花というときはそう呼ぶ意味があり、曼珠沙華というときはそれしかなく、まして、死人花という場合には、そう呼ぶことを選んでいるのだ。
幼い頃、きれいと言って、彼岸花を採って、母に捧げようとすると、顔色を変えて、「採るな、飾るな。」と捨ててしまった。忌み嫌われていた。その感覚が私に残っている。
母から、聞いた、今も残るものには、
「寝る子を跨ぐな、背が伸びない。」「ザルを被るな、疣ができる。」「夜に爪を切るな、親の死に目に会えぬ。」

彼岸花もとは田んぼの畦の道
死の臭ひ墓場の空気彼岸花
絶滅の危惧人にあり彼岸花