俳句に関する二題 ……旧仮名遣い、俳句総合誌

俳句に関する二題
    ……旧仮名遣い、俳句総合誌
       2017/7/25
       十河智

一 電話
 朝九時きっかりに電話があった。そういうときは、子供を学校に出して暇になった娘かと思って出ると、お世話をかけている「ゆう通信句会」のまとめ役の方、送った原稿に疑問があるときやまだ届かないときなど、こうしてお電話くださる。
 今朝の用件は、「だうしても」と書いた旧仮名遣いの是非、多分再確認の上であろうのに、これでいいかと尋ねてくださる。ここはいつもの広辞苑での確認を怠り、「どう」は「だう」と単純に変換してしまった。広辞苑で私が確認する間、待ってくださった。「どうしましょう?漢字で"如何"にしますか?"どう"とひらがなにしますか?」問いかけてくださる、とても優しい方である。平仮名で表すことにした。
 私はまだ明治の文豪たちの旧仮名遣いの文庫本や明治生まれの祖父母や父、大正の母が使う旧仮名遣いも読んで知っている。自身は俳句をするようになって、旧かな表記をためらわず選んだ。古語辞典や広辞苑で確かめてから使うようにしていたが、たまに、えいっと、確かめずに書いてしまったり、この頃は手書きではなく、パソコンやスマホの自動変換をそのままにして、失敗が多くなった。いっそ現代仮名遣いにしてしまいたいくらい、肩身が狭い旧仮名遣いである。
 自分の失敗を棚に上げて、yahooで[どう 旧仮名遣い]検索、旧仮名遣いは歴史仮名遣いともいうとおり、説はいろいろあるらしい。「どう」「もう」は怪しい筆頭のようだ。「だう」「まう」と書くことも多いらしい。
 言葉は話しても書いても、生きて動く。今も、時にはあれっと思う送り仮名や旧仮名遣いの間違いを見つけることがある。しかし、仮名遣いの説明には、間違いが定着したものといった記述がよく見られる。今回は私も判断基準にしている広辞苑に従った。

二 俳句総合誌
 俳句をしていると、読みたい俳人や句集ができてくる。しかし、自分の関係する結社、同人誌、句集以外に手を広げることは、世界が大きすぎて、お金もかかりすぎて、とてもできない。そこで、総合誌とか、協会機関誌を買うことになる。
 最近は、「俳句」「俳句界」「現代俳句」。それぞれに面白い。が、話題が賞とかになると、他のものに乗り換えたくなったりして、財布と相談しているが、きりがない。
 Facebookで、知り合った方たちの評論や作品に出会うこともあり、総合誌の中が、近くの路地裏でも歩くように身近で楽しくなってきた。家に入らない結社であっても、窓から灯が洩れ、雰囲気が感じ取れる。総合誌を見直しているこのごろである。