小川軽舟著「俳句と暮らす」を読みました。

小川軽舟著「俳句と暮らす」を読みました。
        2017/7/4
        十河智

 この本は、私と小川軽舟さんとの"お近づきになる本"となる。ちょうど一ヶ月前、梅田TSUTAYAで小澤實さんと小川軽舟さんの対談があった。そこで、この本を買って帰った。俳誌「鷹」の主宰、藤田湘子の後継者としか知らない。対談のあと、もっとどんな方か知りたくなったのだ。

1 飯を作る

レタス買えば毎日レタスわが四月 軽舟

 平凡な日常から俳句が生まれる過程を、自分や名を残した俳人たちの俳句を通して述べるが、物腰柔らかな物言いの中に俳句の歴史的な転換点をしっかりと押さえて話が進んでいく。自分の単身生活の食を満たすための買い物や料理の話が、虚子が台所を題材とする女性に俳句を勧め、主婦の俳句が個性を発揮し久女の俳句が生まれて来る時代の必然にまで話が及ぶ。場面場面に過去から現代に活躍の女性俳人がいかなる俳句を作ってきたかが簡潔に、的確に紹介される。そして最後が、男子厨房に入る、草間時彦、である。俳人や俳句がわくわくと焼き上がったオムレツのように温かく湯気を感じる。

2 会社で働く

サラリーマンあと十年か更衣 軽舟
 
 ここでは、小川軽舟と金子兜太、草間時彦。サラリーマン生活と俳句人生の両立、わたしの知らない両立の苦しみが世の中にあることを知った。私は仕事を続けたかったので、その葛藤のなかで生きてきた。俳句に出逢えて、慰められ助かったと思っている。奥さんをやり続け、仕事を変えてきた。主人がこのように悩む人でなくてよかった、それがこの章の感想であった。男性目線で語られるサラリーマン生活と俳句人生、読めば悲哀を感じるが、現実、老後は長い、サラリーマン時代をこのように悩みながら生きたとしても、それ以上の生き甲斐を俳句人生のお陰で見いだすことができている。そういう話でもあったように思った。

3 妻に会う

妻来たる一泊二日石蕗の花  軽舟

私も同じように単身赴任の夫に会いに行く暮らしを何年かしていた。ふるさとに暮らす四人の親のことがあり、そうせざるを得なかった。会いに行く時より帰るときがつまらなく、寂しかったことを思い出す。帰りの列車の中で、俳句ができ始めたのだ。夫も家具を揃え、鍋と食器を買った。懐かしい。中村草田男森澄雄池田澄子、西村和子、それぞれの夫婦の姿が見える。生活の相棒を書く、詠む、ということは、男も女も時代もなく、夫婦のありのままを曝すことである。この章の感想は、軽舟さん、少し違いましたね、というところである。

4 散歩する

渡り鳥近所の鳩に気負なし  軽舟

軽舟さんの住み、散歩のコースとなっているところを、実際に歩いたことはないが、「細雪」の舞台でもあり、阪急沿線の憧れの住宅地であるので、読んで後を追えば、雰囲気はよく伝わってくる。面白かったのは、猪を共存したいと思っていると書かれていること。やっかいな害をなすものと見ないところが俳句の人かなと感動した。波多野爽波の句集は何冊か読んだ。銀行時代の部下だった句友から、エピソードを聞いたこともあるちかしい俳人だったので、こんなところに住んでおられたのかと、爽波の句の記憶を手繰っていた。子規と虚子、二人の散歩と得た俳句理念、写生、よくわかり、面白かった。平凡でも作る、これが今に継承され、俳句の裾野を広げる源のように思われた。

5 酒を飲む
青桐や妻のつきあふ昼の酒  軽舟

この章には藤田湘子と小澤實が登場する。俳句の世界にいるときの軽舟さんにとっては、一番大事な人たちであろう。私も嘗てかなり長い間、「鷹」に投稿していた。投句の結果は、二句、三句欄の常連で芳しいものではなかったが、たまに一句を取り上げて鑑賞を投稿すると一句鑑賞欄には採用された、思い出深い。NHK 俳句の選者だった湘子の吟行が特集で放映されたことがあったが、俳句に対する凛々しい姿勢が、今も脳裏に焼き付いている。真砂女もNHK の選者として、よく見ていた人である。娘さんと吟行している番組で、ちょちょっとメモに書き留める姿が、可愛らしい人だった。私はお酒の席の話はよくわからない。こういうことを思い出させてくれた。小澤實さんとのことは、対談の前に書かれたこの本でも懐かしく触れられていた。ああ、弟なんだなあと思う。

6 病気で死ぬ

解熱剤効きたる汗や夜の秋  軽舟

病で死んでいった俳人たち、子規や茅舎、波郷については、その病気と俳句について、語り尽くされている。治療法がわかり、時代とともに死に至る病は、違ってくるがが、不治の病を得た人間としての苦悩は、いつも同じ様にあり、それは人として共有されるべきものとして、未病の我々にも伝わってくる。
最後に紹介された、田中裕明は、私にとっても特別の人である。「ゆう」の会員であった。投稿する前に指導も受けていた。今も俳句の師は、田中裕明と思っている。病気のことは全く知らなかった。年末から正月五日までは郷里にいて亡くなったことすら、すぐには知ることがなかった。「夜の客人」が送られてきて、賀状とともに、亡くなった事実も知ることになったときの驚きは、「ゆう」最終号にも書いたが、言い表すことができない程であった。軽舟さんにも同世代人として衝撃は大きかったようだ。裕明さんは、大学の後輩であり、まりさんは同業者である。縁を繋ぐのはこれからと期待が生まれた頃であった。「夜の客人」は、大句集であった。病とともに、体の中にあるすべての言葉を俳句に編み直して、見せてくれるように、鶴の恩返しの鶴のように、裕明さんは、私たちに姿を見せずに、「夜の客人」を織っていたのかもしれない。その後、裕明さんのゆかりの方々と句会を楽しんでいる。まりさんともご一緒している。今も裕明さんは身近にいる。

6 芭蕉も暮らす

家に居る芭蕉したしき野分かな  軽舟

芭蕉を市井に暮らす人として見ると、どうなのか。"日常の何でもない情景から句を作る、見たままのように見えてそこには芭蕉の心情がじわじわと滲んでいる"軽舟のいうこの一節が心に残った。

あとがきのその最後に

一年の未来ぶあつし初暦  軽舟

軽舟さんは、この暦を最後までめくりきるだろう。さて、私もそのつもりではいるのだが。読後感想にしては、自分のことが入りすぎた。饒舌になった。それほどサラリーマン家庭と、俳句人生の共通する部分が多かった。