二冊の句集 1 中村安伸「虎の夜食」 2 北大路翼「天使の涎」
二冊の句集 1 中村安伸「虎の夜食」 2 北大路翼「天使の涎」
2017/6/6
十河 智
読んでしまったが、持ち歩いている二冊の句集である。
どちらも句の一叢の間に、twitterでのつぶやきが挿入されている構成である。
この頃らしい句集である。
一冊は、内容を言葉通りに受け取れば、ドキッとするし、ハッと驚くが、言葉の選択と流れに、とても文学的なセンスを感じ、間の短文も肝腎の句も、気に入った中村安伸の「虎の夜食」、もう一冊は、使われている言葉は、すべて私の日常領域の言葉であるのに、その句が産まれた、私の全く足を踏み入れたことのない新宿歌舞伎町というところの暮らしに、想像力すら働かず、読んでいて、苦しくさえあった北大路翼の「天使の涎」、この二冊が同時期に偶然発表され、今手元にある。鑑賞を並べるのは、二人の作家に大変失礼なことをしているかも知れないと思いつつ、言葉が、俳句が、短文が、私に伝えてくるもの、について、深く考えさせられたので、こうするしかなかったという私の事情があるのだ。中村安伸さんとは、一度あるパーティーで、お目にかかった。お話もした。北大路翼さんは、ドキュメンタリー番組で日常の活動を特集されているのを見ることがあった。作家について、少し踏み込んだところを知ることができたという点でも、偶然だが、似た状況になった。
1 中村安伸「虎の夜食」
ご本人があとがきに、「すべてフィクションだが、実在の世界と無関係というわけではない」と書いている。当たり前のことだが、そういうお断りを入れなければいけないほど、危うく危険な表現が満載である。今話題の共謀罪法案が現実になれば、即引っ張られかねない。しかし私にもある心の奥底、脳裏の一端をあからさまに引き出してくれたように、共感があり、引き込まれた。作家は、「私にとっての俳句は、鷹狩りの鷹のように、無意識の空間に放つたびに、なにやら得体の知れない、しかし確かに自分の一部であると感じさせられるなにものかを、掴んで戻ってきてくれるパートナーとなった。」という。読者の私にも、彼の放った鷹がもたらす獲物は、「なにやら得体の知れない、しかし確かに自分の一部であると感じさせられるなにものか」なのであった。脳裏に浮かんでは消える言葉のフラグメントを掴むという感覚は、俳句を作る人間にとっては、かなり普通のことで、わかりやすいのではないかと思う。五七五に繋げて俳句にしてみたとき、それは、彼の言うジグソーパズルのピースとなるのだが、私は、完成図を見なくても、その色合いや切り取り方が、とても自分の好みに合っていたのだ。
好きな一五句
黃落や父を刺さずに二十歳過ぐ
卒業やバカはサリンで皆殺し
冬ぬくしバターは紙に包まれて
俳句思へば卵生まれる野分かな
群青の蝶は猫よりなほ刃物
街古りて白い翼のある檸檬
一面の雪虫はかなしい予言
鳥帰る東京液化そして気化
任天堂のカルタで倒す恋敵
約束を初期化してゆく初夏の指
京寒し金閣薪にくべてなほ
よきパズル解くかに虎の夜食かな
姉の香に鋏を入れる夏衣
花衣洛中洛外図へ帰る
秋出水人を残して人消ゆる
2 北大路翼「天使の涎」
ゆかりのある田中裕明賞を取った句集なので、読もうと思った。選評を読んではいたが、何の先入観もなかった。しかし手にして、読んでみて、驚いた。私の廻りには、酔って何かが起こるほどお酒を飲む人はいない。新宿歌舞伎町や、夜のミナミに長居をしたこともなく、この句集に書かれている事象や世界のほとんどがわからなかった。「世の中に禁酒ができる人なんてゐるのだらうか。ゐるとすればその人はもっと大事なものが壊れてゐる。」と言われても、どうしよもなく、始めからお酒はない世界に生きているのだから。あきらめかけていた。しかし、この人が属する「里」の島田牙城さんが、「里」で質問に答えて、「わからない句があれば読み飛ばし、次の句へ行けばいい。好きな句に印をつけて読む。一年後にまた読む。そうすれば、そのときの自分が見えてくる。」そんなことを書いていた。この句集を何度も読んでみようという気になった。これだけのボリュームの句集に、気になる句、好きな句を見つけてみたくなった。そして、NHKの、番組で登場する翼さんは、単に酔っ払いの無頼漢ではないようだった。慕ってくれる若者に、厳しくも優しい先達で、見せる背中がかっこよかった。その人柄に興味を持った。そして、少しわかる句ができてきた。
気になった十五句
春が来るすなはち春の歌舞伎町
チョコフォンデュが固体に戻り春の朝
新宿を焼き尽くす火や一行詩
新宿に火事一つあり死は幾多
舌打ちの出来ぬ鳥ゆゑ囀れり
生ゴミの匂ひの朝や夏兆す
真直ぐ行け闇ありてこそ月の綺麗
ワカサギの世界を抜ける穴一つ
誰を支持しようと大雪で麻痺する首都
佐保姫に夜の記憶を献上す
冷やしトマトがただのトマトになつてしまふ
戦死者と傘の忘れものの数
金木犀にうんざりとある余生かな
マスターとヒーターだけの立ち飲み屋
命とは音と光と囁と