「悪党芭蕉」「季語を生きる」「芸人と俳人」 読み応えあり

「悪党芭蕉」「季語を生きる」「芸人と俳人」 
 -----読み応えあり-----
                      
                         十河 智

 最近の読書は、もっぱら電車の中であり、喫茶店である。この頃は特急に乗り換えたりしない。各駅停車で乗り換え無くゆっくりと、神戸へも、京都にも行く。優先座席で、本を読む。年金生活の夫婦には、健保などから一日一回行くところを作れとくどいほど言ってくるし、関電などから夏冬問わず、省エネ対策にショッピングモールなどにお出かけくださいとクーポン付きのメールが舞い込む。それで、近所の喫茶店や、奈良や木津、河内長野と少し遠くの居心地のよい喫茶店を、行きつけにして、午後の二、三時間を、読書で過ごす。
 俳句に関わる本を、続けて三冊読んだ。別に読もうと決めていたものではない。この三冊は、読んでくれと向こうから来た。「悪党芭蕉」は、「友達が面白いと言うから読もうとしたけど、全然興味がわかないので、途中でやめた」と、親しい友人が投げ出した本を、私が俳句をしているので、読めと貸してくれた。「季語を生きる」は、三月までNHK 俳句の選者であった茨木和生さんの吉野在住の記が吉野へ行く予定であったので読んでみたくなった。FBお友達の島田牙城さんが宣伝していた。「芸人と俳人」は、また四月から代わったNHK 俳句の若い選者堀本裕樹さんの第一回目にゲストが寝屋川の子の又吉直樹で、二人の共著として宣伝していた。堀本さんは、全く知らなかったし、又吉は、芸人タレントとしては知っているが、作品は読んだことがない。表紙の二人に「読んでね。」と誘われて買った。どの本も、面白かった。どれも、負けず劣らず。読み応えがあった。

 「悪党芭蕉」 嵐山光三郎著 新潮社刊
 著者自身があとがきで、「へとへとに疲れた」といっている。それほどに、、蕉門の俳人の主だった人々が、生き生きと、よく調べられて、よく描かれている。周辺の芭蕉の親族、主筋、弟子たち、ありとあらゆる人たちが、まるで、ワイドショーでも見るように、その生き様をさらけ出している。故郷をでて、事情を抱えながらも、スターであり続けた芭蕉、各地に蕉門が立ち上がり、スポンサーが付く芭蕉、お気に入りの弟子を従え旅をする芭蕉、弟子のけんかの仲裁までもが書かれている。本当に面白かった。
 そんな芭蕉の赤裸々な足跡をたどっていく中に、俳句の句合から 歌仙、紀行、蕉門の句集、などなど、俳句の文芸として成立する過程と芭蕉の果たした役割が、うまくはめ込まれて記述され、やはり、今日の俳句の基礎は、芭蕉にあると思うに至った。俳句は、詠む人を問わない。蕉門に実に種々雑多の出自や経歴の門下生が集まり、芭蕉を困らせたり、死後に派閥が生じたり、そのことが、ごく当然、自然のこととして描かれている。最小の文芸であるが故に、解釈も幅が生まれ、誤解やけんかも生じやすい。今の俳句界にも同じようなことは、よくあるのではないだろうかと、芭蕉を悪党と呼んでくれた著者に感謝したいくらい、気持ちが和らいだ気がした。

 「季語を生きる」 茨木和生著 邑書林
 この本の主題は季語であるが、俳人として季語を詠み、考えていくと、現代の自然環境や、生活環境を考えざるを得ないこと、一句が成る過程を述べるとき、季語の持つ本来の意味を大事にしたいという著者の思いと裏腹に、思い出の中にしか使えなくなった季語や、死に絶えかけている季語があることなど、今俳句を作る人たちにとっての切実な季語の問題が、著者自身の経験談として書かれている。季語が醸し出す生活があった昔を単に懐かしんでいるのではない。季語の後ろに塗り重ねられた何層もの色合いを感じてこそ俳句を作れるのだ。俳句を詠む人だからこそ昔のようではない自然、著者にとっては吉野山の桜であろうか、に目を向け、守人たらんとするのである。静かに、季語を通じて、私たちに問いかけてくる、今のままでいいのかと。考えさせられた一冊である。

 「芸人と俳人」 又吉直樹×堀本裕樹 集英社
 四月からのNHK俳句は選者が代わった。堀本裕樹さんという俳人又吉直樹さんをゲストに、番組に出てきた。別の娯楽番組で、俳句を作る又吉直樹を見たことがあった。芥川賞作家として、時期的に呼ばれたものと思っていたが、そうではなかった。まあ、始めはこれも雑誌「すばる」の企画であったらしいが、又吉直樹が、二年もかけて、堀本裕樹さんから、俳句の一から十までを習った記録を本にしたと、番組終わりで宣伝するためだった。天満橋ジュンク堂で孫の本を選んでいたとき、その本に出会った。表紙カバーの二人と目が合い、読んでみようと思う。中身は、結社に入り、句会に参加している慣れた俳句作りには、常識になっていることの説明と実習で、目新しいことは何もない。しかし何かしら、初学の頃を思い出し、こそばゆく、懐かしい。堀本さんの真面目な教材作りが好ましく、又吉君の真面目なしかしお笑い芸人を忘れない教わり方もユニークで楽しげだった。俳句を作り始めたとき、いや、今でも頭にかすめる迷いごとを、ちゃんと聞いてくれており、すっきりと迷いを払う答え方をしてくれている。若い二人の掛け合いがまだまだ俳句は廃れないぞと確信させてくれる。間に俳句作法といったものが堀本さんにより纏められていたり、又吉君のエッセイが入ったり、二人が本領を発揮する。人柄のよく現れた、いい本だった。

 五月雨るる最上川今なほ疾し
 大坂の地に旅終わる大枯野
 初夏の風芭蕉門下の落柿舎に
 俳人の桜守する吉野山
 竹皮を脱ぐ寝屋川の子は作家