頑丈な体、頑丈な心  ……負けないで

頑丈な体、頑丈な心
       ……負けないで

 中学生の頃から大学までずっと同窓である友人がいる。付かず、離れず、適当な距離を置いたつき合いである。一番よく会って、話もしたのは、やはり大学生の頃だろうか。私は、頼る質、彼女は、頼らない質。喋るのはいつも私、彼女は、聞いてくれてはいるが、まどろっこしい思いに駆られるのか、鋭く一言で切り返す。私は、ふらふらと世俗的で、彼女は、よそ見一つせず、目標に向かう。高校時代のよく会う仲間が数人いるが、その中でも、彼女は特別の存在である。
 縁があったのか、大学の入って一年後に私は下宿を、鹿が谷から山科に移した。彼女は、お父様のツテで、最初から山科に住んでいた。それが偶然、隣の家だった。二年間、山科で、行き来して、ともに過ごした。疏水べりまで、よく散歩に出かけ、お互いの部屋で、よく議論もした。医学部の彼女は、専門課程の二年目になると、通学時間の短縮のために、逆に大学の近くに移り住んだ。私は、よく熱を出すので、寝込みかけると、大学の診療所帰りに転がり込んだりしていた。自分は、そういうことに嫌気がさして山科に行ったのだが、頼って、迷惑を掛けてしまった。
 彼女は、いつも確固としていた。頑丈な体と、頑丈な心を持っていた。自信に満ちてという表現は当たらない、ストイックなのだ。私は、心細く、いつもめそめそしていたように思う。
 彼女は、自分の当面の興味の人、心酔する作家を熱く語り、薦めてくれる。私の範疇にはないものも多く、別世界のことと思いつつ、書店の行くと薦められたものを手に取っている。元々、私は、漫画から始まって、かなりの大作まで、手当たり次第に読む方であるが、人に薦めることはない。ある意味、そこで、彼女を受け入れていたのである。彼女を通して私にやって来た人達、学生時代には、プルースト、二人のシモーヌ(ベイユとボーボワール)、キム・ジハ、そして、時を経て、今また、宮城谷昌光白川静プルースト、キム・ジハ、宮城谷昌光の三人は、彼女が薦めなかったら、たぶん読まなかった人達、二人のシモーヌは、後の自分のことを考えると、遅かれ早かれどこかで出会っていて、大きな影響を受けた人達、白川静は、私も漢字に興味があり、何冊かすでに読んでいた人、どの人も、少なからず、私の根元を揺るがし、高揚させ、興奮を与えた。
 特に、人生に大きく影響したのは、二人のシモーヌである。彼女は、当時、シモーヌ・ベイユに傾倒していたと思う。私は、若い頃、ウーマンリブにまでは至らなかったが、ボーボワールの「第二の性」にかなりのめり込んだ。一字一句が、正しいものとして、心に染みこんできた。何も知らず、女らしく育てられた自分を悲しみ、嘆いていた。それでも、私は第二の性であることを全否定することは無く、結婚し、入籍し、ほぼ一人で子を育て、現在がある。彼女も、同様であろう。できる職業人であり、しかも良妻賢母になろうと努力した。会ったときには、ちらちらと、愚痴を言ったり、弱音を吐露することもあったが、学校を出てからは、ほとんど会う機会が無かった。
 シモーヌ・ベイユのフィールドワークを知り、私は、職業生活の最後に、集大成として、薬局を開局したいと思う様になっていた。子育て中の女性薬剤師何人かで、時間をシェアし、街の科学者としての薬剤師がいる薬局が可能なのか、試したかったのだ。病気で十年遅れたが、このような意図で、すもも薬局は開局した。
 彼女は、私に影響している自分を知っているのだろうか。彼女には、自分の前に行くべき道があるだけである。それを語ってくれているだけである。彼女の道をなぞることはできない。私は、私の道を捜すのである。
 
 最近、彼女に異変があった。三月の検査で、手術する程の癌が見つかった。私はかなり心配したのだが、彼女は、職業柄もあり、極めて冷静であった。七月に食事会で、一度目の手術は、もう終わっていると報告され、状況によっては、化学療法の後、もう一度手術するという。間は元気だから、十一月にまた食事会をしようという。このところ、彼女がよく食事会を企画する。「ゆっくりしたことが無いのだから、治療が一段落着くまで、ゆっくりしたらどう」、私は、そう思い、そう進言するのだが、他の仲間は、本人が来られるというのであれば、やった方がいいといい、円山公園の長楽館での食事会となった。彼女らしくきちんと整えていて、元気そうで安心した。私が、借りていた宮城谷昌光を返すと、彼女は、また別の宮城谷昌光を用意していた。これを以心伝心と言っていい物かどうか、借りた本は読まなければいけない。病人に気を使わせたかも知れないし、少し複雑である。話によると、回数を減らしたが、元気なときは、仕事にも行くという。彼女らしいと思いつつ。「こんな時は、休まないと」と、言ってしまった。私は私らしく。「治療直後、元気がなくなる時期には、今、量子化学に興味が湧いたので、その本を読んでいる。」という。また、「あんまり頑張りすぎないで」と、私は言ってしまう。「元気が出ないから、本を読むしかできない」と、彼女は言っていた。病気の経験のある私も、それには、同意してしまう。彼女の弱音を初めて聞いたかも知れない。

 頑丈な体と頑丈な心で、彼女の姿勢を保って、淡々と生活している。
 
 負けないで。ともに長生きしようよ。


 京の雪踏みて赤穂の義士のごと
 クリスマス「第二の性」が我が聖書
 すもも咲くすもも薬局開きけり

 薄紅葉昼の月ある東山
 長楽寺石段よりの紅葉かな
 公園の石に重なり冬の鷺